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明治維新は薩長因備こそ立役者 二条城で山国隊考察シンポ 専門家解説に100人聞き入る

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明治維新は薩長因備こそ立役者 二条城で山国隊考察シンポ 専門家解説に100人聞き入る

 10月22日の時代祭で行列の先頭を歩く維新勤王隊列のモデルである「山国隊(やまぐにたい)」にスポットを当てたシンポジウムが、京都市中京区の世界遺産・二条城で行われ、山国隊ゆかりの市民や歴史愛好家ら約100人が専門家の話に熱心に聞き入っていた。

 京都市が明治150年を記念し、年間を通して行っている催しの一環。山国隊は、武士ではなく、刀さえ握ったことのなかった農民らが組織した農兵隊だ。戊辰戦争(1868年)に新政府軍(官軍)として京都市北部の京北・山国地域から出陣し、旧幕府軍と戦った。江戸から京都へ凱旋(がいせん)する際に、軍楽行進曲を演奏し続けたことが、現在の時代祭の維新勤王隊列の鼓笛につながったとされる。

 シンポでは、NHK大河ドラマ「西郷どん」の時代考証を手がける志學館大学(鹿児島市)の原口泉教授が基調講演を行った。山国隊は戊辰戦争では鳥取藩(因幡)所属として出陣したことや鳥取藩が激戦地で強力に戦ったことなどを紹介し、「明治維新は『薩長土肥』によってなされたといわれるが、実は『薩長因備(いんび)』(薩長と因幡、備前=岡山)こそ戊辰戦争での新政府軍勝利の立役者」と力説した。

 その後行われた討論では、コーディネーターを務める花園大学の松田隆行教授が、山国隊の歴史を解説。山国隊が生まれた山国地域は広大な森林を持ち、平安京造営の際に木材を切り出したと伝えられ、長く天皇が直轄する「禁裏御料(きんりごりょう)」だったという。徳川の時代には幕府直轄領に変わった。

 幕末維新に、西園寺公望の呼びかけに応じて新政府軍に加わるようになったのは、朝廷への仕官をもう一度実現する絶好の機会が訪れたとの思いがあったからと解説した。ちなみに山国隊の名付け親は岩倉具視だという。

 右京区・太秦の松竹撮影所で時代劇映画の監督をするかたわら、幕末軍事史を研究する前原康貴さんによると、江戸に到着した山国隊は太鼓の鼓手を雇い軍楽の練習に励んだといい、「士気を鼓舞する以外に、一糸乱れぬ行動を取らせる目的もあった」と話した。