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戦時中親切にしてくれた「東芝府中の斉藤龍次郎さん」を探してください 台湾の廖来章さんが呼び掛け

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戦時中親切にしてくれた「東芝府中の斉藤龍次郎さん」を探してください 台湾の廖来章さんが呼び掛け

廖さんが大切にしている昭和18年秋、長瀞(埼玉県)で撮影した写真。前列左端が斉藤龍次郎さんと娘。後列左端が廖さん 廖さんが大切にしている昭和18年秋、長瀞(埼玉県)で撮影した写真。前列左端が斉藤龍次郎さんと娘。後列左端が廖さん

 15日は終戦記念日。台湾・雲林県に住む廖来章(りょうらいしょう)さん(88)も、この日を特別な思いで過ごす一人だ。73年前、東京で玉音放送を聞いた。その頃、動員で働いていた東京・府中の東芝工場で、とても親切にしてくれ、「養子に」と申し出た日本人に会いたいと、台湾に戻った後も探し続けている。

 昭和18年7月、台湾にいた廖さんは当時の高等小学校を卒業後、志願動員で日本に渡り、現在の東芝府中事業所で働いた。

 その時、とても親切にしてくれたのが監査部にいた斉藤龍次郎さんという男性。年齢は35歳から40歳ぐらい。妻と2人の子供とともに、工場近くの社宅に住んでいたそうだ。

 廖さんらは社員寮で集団生活をしていた。

 斉藤さんはとても面倒見がよく、廖さんらがおなかを空かしていないか、寒くないかと心配してくれたそうだ。通信教育を受けていた廖さんの勉強をみてくれたり、斉藤さんの妻も、着物を縫ってくれたりした。

 長瀞(埼玉県)に遊びに連れて行ってくれたこともあった。みんなで歌ったり、持参した野菜で飯盒(はんごう)炊さんをしたりした。

 「紅葉がとても美しかった」。廖さんはその時の写真を今も大切に持っており、懐かしく思い出すという。

 やがて終戦。混乱の中、台湾の事情も分からない。斉藤さんは心配して、廖さんに「うちの養子にならないか」と申し出てくれた。

 だが、台湾の父親から戻ってこいと電報が来た。さんざん悩み抜いた末、21年2月、故郷に帰る船に乗った。

 その後、中学校の教員として働き、校長になった廖さん。「お礼がしたい」と思い、何度か訪日して斉藤さんの行方を捜したが見つからず、東芝府中事業所にも行ってみたが分からなかったそうだ。

 廖さんは「斉藤さんはもしかしたらもう亡くなっているかもしれないが、せめてお墓参りをしたい。親族の方がいれば会ってお礼がしたい」と話している。(慶田久幸)

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 斉藤さんの消息をご存じの方は〒100-8077(住所不要)産経新聞社会部東京編集部まで郵便、またはメール(shuto@sankei.co.jp)でお知らせください。

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