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【想う 8年目の被災地】8月 石巻・阿部信さん(70) 「行くな」バスに追いつけず 高台の公園で自分の経験伝え

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【想う 8年目の被災地】
8月 石巻・阿部信さん(70) 「行くな」バスに追いつけず 高台の公園で自分の経験伝え

 「行ってくる」

 東日本大震災が起きた年に買った自転車にまたがって家を出る。30分ほど漕いで、向かうのは宮城県石巻市の日和山公園。震災の年からほとんど毎日、通い続ける。震災で大きな被害を受けた同市南浜町を一望できる高台で、居合わせた人に体験を語るのが日課だ。

 「長男の高校進学を機に平成元年、南浜町に引っ越してきました」

 同市の沖合にある網地(あじ)島出身。漁師として漁船に乗っていた。

 「昭和35年のチリ地震のとき、島の高台から津波を見ていた。大きな地震のときは津波が来る、高台に逃げなければならないという認識はありました」

 震災発生時は自宅にいた。揺れがおさまると、近くの長男宅へ。長男の妻を連れ孫娘=当時(5)=が通う「日和幼稚園」に徒歩で向かった。

 「早く孫を連れて高台に逃げなければならないと考えていました」

 途中、交差点で1台の小さな幼稚園バスとすれ違った。

 「行ってはいけない」

 走って追いかけたが追いつけなかった。震災後、津波と火災が襲った町の中で、車体が焼けたバスが発見された。乗っていた5人の園児が犠牲となった。

 「今でも追いつくことができなかったことが悔やまれます」

 幼稚園に着くと孫はもう1台の大きなバスに乗って園を出たと聞いた。

 「頭が真っ白になりました」

 しばらくしてバスが戻ってきた。近くの理髪店にさしかかったところで引き返すよう言われたという。

 「引き取った孫を抱き、妻と長男の妻と、高台の体育館に避難しました」

 仕事に出ていた長男=当時(36)=と連絡がつかなかった。3月20日になって、避難所の体育館で新聞の回し読みをしていて、犠牲者の欄に長男の名前を見つけた。

 「名前は合っていたが年齢がなぜか26歳になっていた。とりあえず、遺体が安置されているという青果市場に向かいました」

 「A-番」などと番号をつけられた遺体が並ぶ。長男を見つけた。顔で判別できた。

 「自転車で自宅に向かう途中で津波にのまれたそうです。福島県にいる妻の弟に頼んで何とか火葬してもらえました」

 長男の墓は日和山公園の階段を下ってすぐ。震災の年の11月、墓参りを終え公園から町を眺めていた。40代くらいの男女のグループが「あそこは田んぼ、畑かな」と話す声を耳にした。

 「何かがあぜ道に見えたのでしょう。話しかけ、そこに家があり、人の暮らしがあったこと、そして自分の経験を伝えました」

 その日から毎日、公園に通い、自ら話しかけ、語ることが日課になった。

 「震災で長男を失った経験を誰かに話すことによって少し、気持ちが楽になったのだと思います」

 県外からの観光客にも声をかける。伝えたいのは災害時、「自分の身は自分で守る」ということだ。

 「とにかく逃げること。生きていれば家族と必ず会える。親が子を亡くすような悲しいことは経験してほしくありませんから」

 夏真っ盛り。それでも時折吹く浜風が心地よいと笑顔を浮かべる。阿部さんはいつものように自転車のペダルを踏み、きょうも、あしたも公園に向かう。(塔野岡剛)

 ◇

 あべ・まこと 昭和23年7月生まれ。石巻市の日和山公園で体験を話している。震災伝承館「南浜つなぐ館」で語り部ガイドも行っている。