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【平成の商業施設はこうして生まれた】キャナルシティ博多(5)

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【平成の商業施設はこうして生まれた】
キャナルシティ博多(5)

キャナルシティ博多イーストビルのプレオープン=平成23年9月 キャナルシティ博多イーストビルのプレオープン=平成23年9月

 ■「100年後も残る建物に」

 平成8年4月に開業したキャナルシティ博多は、活気に満ちていた。大道芸などストリートパフォーマンスが連日催された。

 この年、福岡県を訪れた観光客は7500万人と、過去最多を記録した。「キャナル効果」と報じられた。

 効果は2年目に、はがれ落ちた。

 初年度は1640万人がキャナルを訪れた。2年目は1350万人に急減した。

 福岡・天神では9年、西日本鉄道がバスセンターと鉄道駅、商業施設を一体化した「ソラリアターミナルビル」を完成させた。核テナントに福岡三越が入った。岩田屋Zサイド開店(8年)、博多大丸増床(9年)と、商業施設の蓄積が進んだ。

 第3次流通戦争とまで言われた商戦の中で、キャナルの存在感は、じりじりと低下したのだった。

 福岡地所社長の榎本一彦(74)=現会長=は、1300万人がキャナルの損益分岐点と考えていた。4年目(11年度)には1270万人と、分岐点を下回った。

 核テナントだったダイエーの経営不振が、追い打ちをかけた。同社は10年2月期決算で、上場以来初の経常赤字に転落した。経営再建が始まり、創業者の中内功(1922~2005)は11年、社長を退いた。

 13年8月、キャナルの「サウスビル」にあったダイエー直営店「メガバンドール」が、撤退した。

 セガグループの施設縮小もあり、サウスビルほぼ1棟を、新たなテナントに入れ替えなければならなかった。

 開業6年目に訪れた危機。現場は前向きだった。

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 「再浮上のチャンスじゃないか。おもしろい施設に生まれ変わらせればいい。キャナル第2の創業だ!」

 運営するエフ・ジェイ都市開発の営業担当課長、古池(こいけ)善司(55)=現福岡地所常務=は、張り切っていた。

 改装の目玉として、全国各地の有名ラーメン店を呼ぶ企画が浮上した。古池は、他県のフードテーマパークを視察した。別の社員は、全国を回り、店主を口説いた。

 13年12月、「ラーメンスタジアム」がオープンした。予想以上の人気となり、キャナルの来場者は同年度、1300万人を回復した。

 とはいえ、集客に決定打はない。手を打ち続ける必要があった。

 「去年と同じイベントはするなよ」。エフ・ジェイ都市開発社長の藤(とう)賢一(69)=現福岡地所特別顧問=の口癖だった。

 「インパクトを与え続けないと飽きられる」。古池は肝に銘じた。

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 この頃、経営陣は現場とは違う悩みを抱えていた。財務危機だ。

 キャナルに総事業費800億円をかけた。そのほか、パークプレイス大分(大分市)など数々の大型開発を進めた。

 この結果、グループの借入金は13年5月期、2100億円に上った。売上高の3・6倍に達していた。

 こんな中で、メインバンクが消えた。

 福岡シティ銀行は、グループが多額の不良債権を抱えていた。14年に700億円の公的資金を受け入れ、西日本銀行との合併を表明した。翌年、福岡シティ銀行頭取の四島司(1925~2015)は退任した。

 四島は榎本の叔父だった。榎本は創業以来の後ろ盾を失った。

 福岡地所に対する金融機関の態度は一変した。たとえキャナルが黒字でも、日々の運転資金がなければ、会社は倒産する。

 榎本は「攻め」の経営者だ。思い定めた目標を、何が何でも実現してきた。半面、「守り」に弱いことは自覚していた。

 「この厳しい時代には、自分のような不動産屋の発想より、守りを固める人材がふさわしい」

 榎本は15年、社長を退いた。後任に、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)出身の八木聖二(73)=現相談役=を選んだ。

 「金融機関への対応に振り回されないよう、負債圧縮を優先する」。八木が活用したのが、米国発祥の不動産投資信託「リート」だった。

 投資家から集めた資金を元に、不動産を所有・運営し、賃料収入などで得た利益を、投資家に分配する仕組みだ。不動産運営に必要な巨額のマネーを、借り入れではなく市場から調達できる。施設運営会社にとっては、税金など不動産所有による負担を軽減できる。

 日本では13年9月に始まったばかり。この手法を選んだのは、金融に精通した八木ならではだった。

 九州電力や福岡銀行などの賛同も得て、15年に資産運用会社「福岡リアルティ」を、翌年に「福岡リート投資法人」を設立した。地域特化型リートは、国内初だった。

 キャナルシティ博多などの所有物件を750億円でリートに売却し、売却益を借入金の返済に充てた。

 八木は社長就任から3年で、グループの借入金を、820億円に圧縮した。その後も、さまざまな財務健全化策を実行した。

 「キャナルシティ博多を100年後も残る建物にしたい」。八木が勤めた日債銀は、バブル期の不動産投資が仇(あだ)となり、10年に破綻した。会社存続への思いは人一倍、強かった。

 八木の改革に、榎本が口を挟むことはなかった。

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 八木の手腕で、福岡地所は新たな開発に注力する力を得た。

 平成23年9月にできたキャナル「イーストビル」は、同年3月にオープンしたJR九州の「JR博多シティ」と相乗効果を生んだ。2つの施設の間を、人が歩くようになった。キャナルの目的であった「博多再興」は、一段高いステージに移った。

 中国人を中心とした「爆買い」ブームへも対応した。

 進化は続く。

 28年11月、日本最大級の3Dプロジェクションマッピングショー「アクアパノラマ」を導入した。

 高さ20メートル、幅65メートルの壁面をスクリーンとして、映像と音響、キャナルならではの噴水を組み合わせる。

 事業費は15億円。議論となったのは、最新鋭の投影機で、「何を見せるか」だった。

 「海外の観光客に楽しんでもらうには、ストーリーよりも迫力だ」。キャナルシティ博多事業部長の下田圭一(52)=現執行役員=は、こう考えた。

 初のタイトルとして、海外でも人気の漫画「ワンピース」が決まった。

 2カ月かけて投影機器を据えた。スクリーンは、曲面の壁に埋め込まれたガラス窓を使った。地下1階から3階まで、ガラスごとにカーテンのようなスクリーンを取り付けた。

 キャナル内には深夜営業のバーもある。映像の試験は、すべての客が帰った午前1時から始めた。制作会社と試写を繰り返した。

 上映初日、大勢の客がキャナルに来た。下田は、運河ぎりぎりまで集まった客が転落しないかと、不安で足が震えた。

 上映は大成功だった。客の拍手と歓声に、下田は心が震えた。

 アクアパノラマは、キャナルに夜間の集客力ももたらした。29年度の来場者数は、過去最多の1700万人を達成した。開業から22年目の快挙だった。

 今夏、プロジェクションマッピングに、怪獣「ゴジラ」が登場した。

 ゴジラは、立ちはだかる障害物を破壊し尽くす。その圧倒的な姿に人々は引かれる。下田らキャナルに携わる人々は、目の前の壁を壊し、圧倒的な魅力を持つ施設を目指す。

 「中途半端なことはできない。生き残るのは、魅力的な施設だけだ」

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 キャナルシティ博多は、関わった人々に翼を与えた。

 生みの親の一人である藤は、中国に飛び出た。南京をはじめ中国各地にキャナルのような集客施設を造ろうと、飛行機で往復する。

 設計した米国の建築家、ジョン・ジャーディ(1940~2015)は、キャナルの後、六本木ヒルズ(東京)や、なんばパークス(大阪)を手掛けた。

 キャナルの劇場で初めて舞台に接し、演劇の世界に進んだ子供もいる。劇団四季の俳優約600人のうち、1割を九州・山口出身者が占める。

 福岡地所は今、福岡・天神地区の再開発事業に取り組む。アジアの拠点都市への飛躍を目指し、福岡市が掲げた再開発事業「天神ビッグバン」に、真っ先に名乗りを上げた。

 この新事業は、榎本の長男で、27年に社長となった一郎(44)が指揮する。

 「半歩先を見る。福岡をエキサイティングな街にするんだ」。榎本の強烈な思いに、福岡地所の社員は、あるときは鼓舞され、あるときは振り回されながら成長した。冒険心を持った社員が、今も走り続ける。(敬称略)=おわり