産経ニュース

相模原殺傷2年 障害者支援スタッフの回顧 「犯人のようになりかねなかった」

地方 地方

記事詳細

更新


相模原殺傷2年 障害者支援スタッフの回顧 「犯人のようになりかねなかった」

 ■能力・強さ求め孤立…「できない人」に救われた

 知的障害者の共同体「ラルシュかなの家」のスタッフ、横井圭介さんは相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で殺傷事件が起きたとき、「環境や出会い次第では、自分も犯人のようになりかねなかった」と感じたという。事件から26日で2年が経過した。横井さんは「できない人はだめだ」という考えにとらわれ、自分を追い詰め、孤立していたと自己分析する。

 幼い頃から「自分はみじめだ」と思っていた。運動も、楽器も、絵も苦手。親からは「努力が足りない」と言われ、「できなければ人に認められない」と思い詰めた。当時のアルバムをめくると、泣き顔ばかりで切なくなる。コンプレックスの反動で、小学校時代は得意だった漢字の習得にしがみつき、できない人に自慢した。

 ◆ラルシュとの出会い

 中学では、成績は良かったが、他人との比較ばかり気にした。校内に障害児が通う特別支援学級があったが、接点はなかった。「『人間じゃないのでは』とか、ひどいことを思っていました」。旧優生保護法が姿を消した平成8年前後だった。

 高校を卒業して大学に進むと、人間関係に苦しんだ。特に、友人に次々と恋人ができるのがきつかった。「彼女がいない弱者、負け組」と引け目を感じ、酒に溺れては前後不覚に陥った。この時期、包丁を携帯していたという。「強く見せたい思いが泥のようにたまっていた。人を殺せる、いつでも自殺できると考えていました」

 その後、友達の影響で刑法と生命倫理を学ぶゼミを志望した。先生との面接は盛り上がらず、「不採用かな」と思ったとき、1年生のころ、街で偶然知り合った脳性まひの男性の自立生活を手伝った話が口をついて出た。カトリックを信仰していた先生は障害者問題への関心が高く、ゼミに採用された。

 卒業し、商工ローンの会社に勤めたが、金銭中心の価値観に疑問を抱いた。信頼する先生のすすめもあり、「偽善的」と思っていた信仰の道を歩み始めた。会社を辞め、ラルシュと出会った。

 ◆自分を見つめ直す

 知的障害がある人たちに歓迎された。一緒に暮らすうちに、能力や学歴、肩書にとらわれる自分を見つめ直すようになった。それでも他の職員との関係がこじれ、グループホームにいられなくなったことがある。別のホームに移ったが、針のむしろに座らされている気がして「辞めよう」と考えた。

 そのとき、知的障害がある入所者の野村安一さんが「いやあ、良かった。来てくれて、にぎやかになったよ」と屈託なく笑った。場の雰囲気が変わった。横井さんは、居場所をつくってくれた気がして救われた。

 相模原殺傷事件の被告は「障害者は不幸。抹殺することが救う方法」と供述していた。障害者を排除する優生思想は、競争で優劣を付け、成果や能率でのみ人間の価値を計る社会にはびこる、と横井さんは考える。

 自分がそうだったように。その価値観で計れば野村さんたちは「できない」ことが多い。だが、実際は自分を変えてくれた。「何かをしてあげるつもりが、もらったものの方が大きかった」

 人を信頼することが苦手な横井さんが結婚したとき、野村さんは心から「おめでとう」と言って泣いてくれた。横井さんの瞳からも涙があふれた。