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【とちぎ解剖】木喰の秘仏、鹿沼で来月公開 生誕300年、県内各地に足跡残した遊行僧

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【とちぎ解剖】
木喰の秘仏、鹿沼で来月公開 生誕300年、県内各地に足跡残した遊行僧

 全国各地に仏像を残した江戸時代の遊行僧、木喰(もくじき)(1718~1810年)が生誕300年で注目されている。鹿沼市栃窪の薬師堂では8月5日午前9時~正午、地域の住民が長年、大切に守り続けている秘仏「木像 薬師三尊像と十二神将像」(県指定文化財)が公開される。一方、足利市にある未解明の石碑など県内各地に木喰の足跡があり、今後の調査研究が待たれる。(川岸等)

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 ◆地域の住民が大切に

 古びた薬師堂の奥の収蔵庫にすすけた仏像が並ぶ。薬師如来像を中央に両脇に日光と月光の両菩薩像、さらにその両側に6体ずつの十二神将像が控えている。薬師如来は穏やかな表情で、口元に笑みを含んでいるように見える。

 「ほほえみにほほえみて、またほほえみ返す。昔、住民はむしゃくしゃした際に仏像さんの頭をなでて、そう唱えたものです」と管理する薬師堂信徒代表世話人の上野昇さん(64)。同仏像は木喰初期の作品だが、後年の特徴とされる「微笑仏(びしょうぶつ)」の面影を漂わせている。

 全国木喰研究会評議員の小島梯次さん(75)によると、現存する木喰仏は全国で626体。鹿沼市栃窪の仏像は薬師如来を軸に15体全てが残っている上、仏像に記された墨書から弟子の白道(びゃくどう)が共同制作したことも判明しており、「木喰研究にとって極めて貴重な存在」と解説する。

 木喰は北海道から東北を経て、日光に入り、安永9(1780)年9月~翌年2月、栃窪に滞在した。言い伝えでは、民家に寝泊まりして仏像を彫り、はやり病を治した。上野さんら地元の民家には薬師堂の15体とは別に計4体の木喰仏(いずれも市文化財)が伝わっている。

 地元では毎年1、8月の秘仏開帳、春の祭りの際などに木喰仏を公開。研究者や仏像愛好者らが訪れる。上野さんは「地元の宝として後世に末永く伝えていきたい」と話す。地元の市立菊沢東小学校では毎年、4年生を対象に、地域を知る学習として木喰仏を見学している。

 ◆鑁阿寺石碑の謎

 木喰の残した「納経帳」などから回国修行の途中、日光や宇都宮など県内にも足を踏み入れている。中でも足利には安永3(1774)年、同4年と続けて鑁阿寺(ばんなじ)(同市家富町)を訪れ、2回目は20日間日参した。本堂に通じる参道沿いには木喰関連とされる石碑一対がある。「奉納日本回国二度目」「願主・三界(さんがい)無庵(むあん)」と刻まれ、同寺元住職の山越忍済(にんさい)の著書「足利の鑁阿寺」では「木喰上人が奉納した」と記されている。

 ただ、石碑には寛政6(1794)年と刻まれ、参拝の時期とは合わない。小島さんは「調査研究の余地がある」としている。

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 ■木喰

 甲斐(山梨県)出身。木食戒(穀物を絶ち、木の実を食べる修行)を受け、「木喰行者行道」などと名乗る。安永2(1773)年に千体の仏像建立を目指し、修行の旅を始め、全国各地に仏像を残した。民芸運動家の柳宗悦が大正時代、本格的に全国を調査、木喰が広く知られるようになった。出身地の山梨県身延町では生誕300年の企画展が開かれている。