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【金融から世界が見える 日本が見える 久保田勇夫の一筆両断】回想の「政」と「官」~国政責任者の迫力~

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【金融から世界が見える 日本が見える 久保田勇夫の一筆両断】
回想の「政」と「官」~国政責任者の迫力~

 このところ「政」と「官」とに係わる様々な事件が発生している。自らの経験に照らして何故そういうことになったのか、理解に苦しむ事件もあれば、多分こういうことではないかと推測出来るものもある。また、この種の事象に関しては一般的に、「役人が悪い」という方向での報道が歓迎される傾向があり、正確な情報が報道されてない可能性や、大事な情報が伝えられていないこともあるのではないかと考えている。

 とは言え、私が公務員を辞めて20年近く経っており、その後「政」と「官」を律する仕組みもかなり変わったようであるし、政策策定の環境も異なっており、これらについて軽々にコメントすることは、控えるべきであろう。

 多分私が今出来ることは、自分がかつて霞ヶ関で働いた時に係わったり遭遇したりした事象について、その具体的事実や感じたことを紹介することであろう。そうすることは、今日の「政」と「官」との議論に貢献するのではないか、と考えるからである。そこで、私の係わった「政」と「官」に係わる幾つかの局面を紹介したい。

 昭和47年7月、私は1年間の税務署長勤務を終えて課長補佐として大蔵省の本省に戻った。配属先は主税局国際租税課兼総務課で、担当は海外の租税制度の調査であった。

 当時は、入省5、6年目の若手の幹部候補生を地方の税務署長に1~2年勤務させるのが慣例であり、私も28歳の頃、1カ月のかなり濃密な短期高等税務研修という座学を終えた後、税務署長となった。この制度は、こういうことをして甘やかすから増長した幹部が育つのだとか、「バカ殿教育である」とかいった批判があってその功罪について十分な検討をすることなく廃止されてしまった。振り返って、この制度は幹部候補生に対して若いうちに組織のトップとはいかなることかを身をもって経験させ、一般納税者、政治家、ジャーナリスト等に責任者として対処する貴重な経験を積ませるものであった。私は、この時期、政治による行政に対する強い個別介入の試みに遭遇した。

 ■田中角栄総理

 霞ヶ関で課長補佐になるということは、その担当の分野では当該組織を代表してものが言えるようになると言うことであった。その為、自分の担当分野については他の誰よりも詳しくなることが求められた。それは大蔵省で言えば、予算や税、銀行、証券、保険といった所管の分野の行政に責任を持つということをも意味した。

 課長補佐の重要な仕事の一つが、上司の国会答弁を作成し、実際にその答弁が行われる際に随行することであった。国会の委員会の質疑の際、答弁者は多くは政府委員である局長であったが、時により大蔵大臣であったり、たまには総理大臣であったりした。私はこの主税局国際租税課の課長補佐の時に、初めて国会答弁、厳密に言えば、国会答弁案というべきであろうが、を書いたのである。それは、大蔵委員会における田中角栄総理大臣の答弁であった。詳しい読者は予算委員会でもない通常の委員会である大蔵委員会に何故、総理が出席して答弁するのかと思われるであろうが、当時は、税制関連法案の審議最終日には総理が出席されるのが慣行であった。

 質問内容は、やや技術的になるが、「米国では『負の所得税』導入の議論が行われている。日本でもこれを検討したらどうか」というものであった。所得が、ある水準以上の者には所得税を徴収するが、それ以下の者には、その水準に応じて、逆に政府から金を渡すという制度を作ったらどうかということである。ただ所得が低いというだけで国から金を渡す、というのはやや乱暴な議論であり、財政当局としては賛成というわけにはいかない。局長からは、まじめな質問であるし、丁寧な答弁を書くようにとの指示があり、私は「『負の所得税』というのは一つの考えであるが、国から国民への交付金ということであれば、類似の制度として各種の社会保障制度がある。それとの整合性もとる必要がある。種々問題点もあるが検討課題だと思う」といったような趣旨(つまり導入には反対)の答弁とし、これを局長の了承を得、大臣官房文書課のチェックを受けて、その前夜官邸に届けてもらったのである。

 ■「惰民政策」

 当日、私は主税局長のお伴をして国会に向かった。自分が書いた答弁を使って総理がどう答えられるか、胸をときめかせながら…。答弁席には総理が、すぐ後ろには主税局長が座っておられる。私は、議員の席の後、即ち真正面から答弁者を見られる位置にいた。

 野党の議員からは、予定通りの質問があった。「総理はどう答えられるであろうか」。私は固唾(かたず)を呑んで待った。質問が終わると総理は直ちに立ち上がられた。総理は、手元にあるはずの私の答弁書に一瞥(いちべつ)をくれることもなく、大きな声で答えられた。「私は、身体が悪いとか、病気だとか、理由があって働けずに所得が少ない人に国が金を交付するというのは賛成である。しかしながら、その理由のいかんを問わずただ所得が少ないというだけで金を出すなどという惰民(だみん)政策は、例え日本の周りの全ての国が採用したとしても、私が総理大臣をしている限りは採用しない」というものであった。

 私の答弁は何の役にも立たなかった。私はがっかりというよりは、拍子抜けした気分であった。ただ、私は直接総理の顔を見、その迫力に接することとなった。

 振り返ってみると、これは政治家にしか出来ない答弁であった。「自分が総理をしている間は採用しない」というのは文字通り国政の責任者である政治家にしか出来ない答弁であり、役人には書けない答弁である。また、こういう政策が「惰民政策である」とそれについての価値判断を伴う文章を書くことも国会の議論に対して中立的な素材を提供すべき公務員のやることではないのである。

 些細な出来事であったが、これが私が田中角栄総理を間近に見た初めての、そして結局唯一の機会であった。しかしながら、同氏との仕事の上での関係がこれで終わりということではなかった。

                   ◇

【プロフィル】久保田勇夫

 くぼた・いさお 昭和17年生まれ。福岡県立修猷館高校、東京大法学部卒。オックスフォード大経済学修士。大蔵省(現財務省)に入省。国際金融局次長、関税局長、国土事務次官、都市基盤整備公団副総裁、ローン・スター・ジャパン・アクイジッションズ会長などを経て、平成18年6月に西日本シティ銀行頭取に就任。26年6月から会長。28年10月から西日本フィナンシャルホールディングス会長を兼務。