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【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】江戸の園芸にみる日本の強み

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【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】
江戸の園芸にみる日本の強み

 先週末、上京していた私は、東京の下町・入谷(いりや)の朝顔市に行った。数十軒の朝顔業者が連なり、早朝からにぎわっていた。入谷の朝顔市の後には、浅草で、ほおずき市が開催されていたが、こちらも盛況だったという。

 朝顔市もほおずき市も、伝統は江戸時代に遡(さかのぼ)る。江戸の人々は将軍から庶民まで園芸を楽しんだ。家康をはじめ徳川初期の将軍は皆、大変な花好きだった。将軍が花好きだったので、それに影響されたのか、自藩で花づくりを奨励した大名も少なくない。

 よく知られているのは熊本の細川藩だ。武家の精神修養の一環として、家臣に花づくりを勧めた。現在でも「肥後六花」(菊、椿、山茶花(さざんか)、菖蒲(しょうぶ)、朝顔、芍薬(しゃくやく))と称される花づくりの伝統が続いている。例えば、お手元のスマホで「肥後朝顔」と画像検索してみてほしい。武家の姫君のような端正なたたずまいの朝顔を見ることができる。

 園芸趣味は当初、武家など上流階層のものだったが、徐々に庶民層にも広がった。幕末に来日した英国の植物商、R・フォーチュンは次のように記している。「日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしにしじゅう好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている」(『幕末日本探訪記』講談社学術文庫)。

 江戸の園芸は、当時、世界一といっても良いほど栄えた。海外にも大きな影響を与えた。例えば「斑入(ふい)り」の植物である。フォーチュンは、斑入り植物について欧州人がそれを愛で始めたのは「つい数年来」のことだが、日本では「千年も前から、この趣味を育てて来た」と驚いた。実際、この後、日本から斑入りの植物が多数持ち込まれ、欧州でも流行した。

 園芸学を専門とする田中孝幸氏(東海大教授)は、次のように述べる。「…日本人のもともと持っていた優れた美的感覚や国を挙げて熱狂した園芸ブームの中で、多くの素晴らしい園芸品種群が形成された。現在ヨーロッパやアメリカなど世界中の温帯地方で栽培されている園芸植物の多くがその起源を日本の江戸時代においているといっても過言ではない」(『園芸と文化』熊本日日新聞社)。

 植物学者の中尾佐助氏も次のように記す。「…日本が今日の世界文明に貢献した要素として、江戸時代の花卉(かき)、庭木の園芸の成果は非常に大きい。日本の浮世絵が西洋文化に与えた刺激より、園芸植物の与えた影響のほうがはるかに大きいと評価してもよい」(『栽培植物の世界』中央公論社)。

 なぜ江戸時代の日本に園芸文化が大々的に花開き、根付いたのか。中尾氏は「庶民までをふくめて日本人に中流意識が普及した」ことが一因だと推測する(『花と木の文化史』岩波新書)。識字率の高さや階層間の通婚の多さなどに触れつつ、「江戸時代は士農工商の階層構造の社会のようにいわれるが、それは表面的な建前であって、実質的にはかなり違っていた…」と見る。

 この点、実に興味深い。日本には、かなり早い時期から中流意識を備えた分厚い庶民層が存在し、それが質の高い大衆文化を形作ってきたといえよう。日本の強みとは今も昔もそこにあるはずだ。近年、日本は、「クールジャパン政策」や「インバウンド重視」などといい、外国人の関心を引こうと躍起になっている。だが、それは小手先の政策にならざるを得ない。最も大切なのは、日本の一般庶民が趣味や娯楽を楽しみ、それに安心してお金を使える安定した社会を取り戻すことだ。そうすれば、自ずから優れた文化が花開き、放っておいても海外の人々も関心を持つはずである。

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【プロフィル】施光恒

 せ・てるひさ 昭和46年、福岡市生まれ、福岡県立修猷館高校、慶應義塾大法学部卒。英シェフィールド大修士課程修了。慶應義塾大大学院博士課程修了。法学博士。現在は九州大大学院比較社会文化研究院准教授。専攻は政治哲学、政治理論。著書に『英語化は愚民化』(集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など。