産経ニュース

阪神大水害80年 流失した橋の一部が民家に…芦屋被害語る貴重資料

地方 地方

記事詳細

更新


阪神大水害80年 流失した橋の一部が民家に…芦屋被害語る貴重資料

掘り起こした永保橋の親柱の一部を持つ三崎嘉禧さん=芦屋市松浜町 掘り起こした永保橋の親柱の一部を持つ三崎嘉禧さん=芦屋市松浜町

 昭和13年に発生し、600人超の死者・行方不明者を出した阪神大水害で流失した「永保橋」の一部が、芦屋市松浜町の三崎嘉禧さん(91)方から土に埋まった状態で見つかり、同市が29日、掘り出し作業を行った。市生涯学習課は「大水害の遺構はほとんど残っておらず、災害の大きさを物語る貴重な資料」としている。

 阪神大水害は、昭和13年7月に神戸市や阪神地域で発生。河川の氾濫などで芦屋市でも27人が死亡・行方不明となった。当時、住吉村(現神戸市東灘区)に住んでいた谷崎潤一郎の小説「細雪(ささめゆき)」にも、大水害の様子が描かれている。

 大水害から今年で80年となるのに合わせ、芦屋市や近畿地方整備局六甲砂防事務所などが今月から、大水害の体験談や当時の写真などの資料提供を呼びかけていたところ、三崎さんから「亡くなった父が、自宅前に流れ着いた柱を拾って保存していた」と情報提供があったという。

 永保橋は、現在の国道43号が芦屋川を通る場所にあり、明治17年の「芦屋村誌」にも記録が残っている。大水害で流失後に再建されたが、昭和35年の国道建設に伴い撤去された。

 今回掘り出されたのは、橋の四隅にある親柱の一部で、直径約30センチ、高さ約43センチ。重さは約65キロで、御影石でできている。三崎さんの自宅から永保橋までは約530メートルで、芦屋川をあふれた水に乗って流れ着いたとみられる。大水害後は敷地内の中庭に置かれていたが、阪神大震災後に庭を整備する際、隅に埋め直したという。

 今後は同課が中心となり研究や分析を行う予定で、三崎さんは「父も大事な橋だと思って流れ着いたものを保管していたのではないか。橋の一部が大水害を伝える資料として研究に生かされればありがたい」と話した。

 掘り出された橋の写真などは「阪神大水害デジタルアーカイブ」として、年内にもインターネット上で公開される。