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【今こそ知りたい幕末明治】若津港異聞 女優・李香蘭について

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【今こそ知りたい幕末明治】
若津港異聞 女優・李香蘭について

 筑後川下流の若津港は、江戸時代後期から明治にかけて繁栄を極め、わが国の物流ルートの変化に伴い衰退していった。最近、この若津港の歴史に花を添える事実が出現した。国際派女優として波瀾(はらん)万丈の生涯を送った「李香蘭」、日本名「山口淑子」との縁である。

 李香蘭は大正9年2月12日、父・山口文雄と母アイ(旧姓石橋)の間に、中国大陸東北部の奉天北煙台で生を受けた。

 父が南満州鉄道(満鉄)で中国語の教師をしていたこともあり、彼女は日本語と中国語に堪能であった。「中国人スター李香蘭」として昭和13年、満州映画協会からデビューした。端麗な容姿から、人気は急上昇した。

 終戦後帰国してからも、国際派女優としての名声は続いた。参議院議員へも転身した。

 その伝説の女優は、筑後川流域と、どんな縁があったのだろうか。

 父の文雄は明治22年生まれで、本籍は佐賀県杵島郡北方町(現武雄市)だった。17歳で中国に渡る。

 一方、母のアイは明治27年、若津で生まれた。若津港は江戸期、幕末維新期より、長崎との交易は非常に頻繁であり、父の石橋近次郎は廻船(かいせん)業を営んでいた。

 ちなみに筑後地区の「石橋姓」は、福岡県の久留米市と大川市に多い。有名なのは、ブリヂストンを創業した石橋家であろう。

 近次郎に関しては、若津時代の資料が残る。明治23年刊の「筑肥有名家独案内」(国立国会図書館蔵)である。右ページに「汽船廻漕(かいそう)業先後屋・石橋近次郎」、左ページに「汽船廻漕業高野屋・石橋作太郎」とある。作太郎と近次郎兄弟は若津にて廻船業を生業としていた。

 資料に残る兄弟の屋号から論考すると、作太郎「高野屋」の由来は久留米・高野地区の出身であることを示したのであろう。また、近次郎「先後屋」の由来は、筑後川で船の「水先案内人」も生業としたからでなかろうか。

 ところが明治42年に三潴(みづま)軌道、大正元年の大川鉄道と、若津港に鉄路が開設された。この物流ルートの変化が、江戸から続く大物流拠点の廻船業者にも変化を強いた。

 近次郎は家業が立ち行かなくなり、新天地を求め、朝鮮半島に一家で移住した。その後、親戚(しんせき)を頼り満州撫順へ移る。この経緯は、関西学院大学の西村正男教授に、ご教示いただいた。

 明治41年頃の「大川町実業家案内」の詳細一覧表には、「高野屋回漕店」の記載はあるが「先後屋」はないのである。

 李香蘭、山口淑子は参議院選挙全国区に出馬する際、ここ若津の地を訪れた。石橋家ほか、親類縁者へあいさつ回りをしている。

 日本人ばなれした容貌について、本人が晩年「4代前の系譜にフランス人の血が混じっている」とインタビューに答えたと、西村氏よりご指摘があった。

 本人の話が真実であるならば、フランスとどんな関わりがあったのだろうか。関学の西村氏の研究で新事実が出てくることを期待してやまない。

 女優・李香蘭は父から教わったであろう語学力と、母譲りの美貌でスターの座をつかんだ。

 繁栄と衰亡。若津港の変遷がなければ、大女優は生まれなかったかもしれない。歴史の不思議がある。

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【プロフィル】本間雄治

 福岡、佐賀両県の明治大正の実業家の歴史などを研究する。昭和24年生まれ。佐賀大学卒、民間企業を経て平成17年からNPO法人「大川未来塾」(福岡県大川市)で、筑後川水系の活動に従事、18年にNPO法人「みなくるSAGA」(佐賀市)を設立。佐賀市在住。