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奈良・横田洋傘店、惜しまれつつ閉店 夫婦で半世紀、傘一筋こだわり全う

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奈良・横田洋傘店、惜しまれつつ閉店 夫婦で半世紀、傘一筋こだわり全う

 情緒あふれる街並みを今に残す奈良市高畑町の一角で、戦後70年にわたって営業を続けてきた「横田洋傘店」がこの春、惜しまれながら店を閉じた。4代目の横田仁史さん(86)と妻、千枝子さん(79)が「一生もの」の傘を長年作ってきたが、こだわっていた日本製素材の入手が困難に。さらに後継者不在の事情も相まって、やむなく閉店を決めた。仁史さんは「お客さまから手紙をいただいたり、形見の着物で作った傘を涙を流しながら喜んでもらえたり。仕事は大変だったけれど、そんなときは苦労してよかったと思ったよ」と感慨をにじませた。 (竹谷朋美)

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 横田洋傘店は明治時代、仁史さんの曾祖父が大阪・心斎橋で創業。先代の父、敬太郎さんは昭和初期に台湾へ渡り、「朝日洋傘店」の屋号で事業拡大に成功した。終戦を機に帰国した一家は橿原市にあった母の生家の離れを借り、家族で洋傘製造を再開。昭和23年に現在地に移転した。

 台湾で生まれた仁史さんは昭和36年、千枝子さんと見合い結婚。和裁の心得があり、手先が器用だった千枝子さんも作業を支え、最盛期の昭和40~50年代には週に最大130本もの傘を制作したという。

 ◆「一生もの」追求

 かつては旅館や学校の傘のほか、ビニール傘やジャンプ傘に至るまであらゆる種類の傘を手がけたが、最終的に追求したのは「一生もの」の傘作りだ。

 「傘で最も大切な心棒(シャフト)には硬くて丈夫なカシの木、骨が密集するろくろには真鍮(しんちゅう)、持ち手にはツバキやサクラの木を使った。使っているうちにツヤが出てくるんですよ」(仁史さん)

 人気商品となったのは、世界に二つとない「オリジナル傘」。愛着がある着物や刺繍(ししゅう)を施した生地を持ち込んでもらい、傘に仕立て上げると、いぶし銀の仕事ぶりが口コミで評判を呼んだ。「うちの傘を差している人を見つけると、うれしくなる」と仁史さん。「違い」をすぐさま見抜くのは一流の職人のなせる技だ。

 ◆常連客「寂しい」

 奈良市内で刺繍教室を主宰する吉川正美さん(76)は、夫婦が仕立てた傘の40年近い愛用者。「自分で刺繍した生地を雨傘にしてもらえたのは横田さんだけ。これからは一層大切に使っていかないと」

 30年の付き合いがあるという「ギャラリー禅(せん)」(奈良市学園北)のオーナー、富田幸代さん(71)は「8年使っている日傘は、持ち手がサクラの天然木でピカピカ。12本の骨組みなので、畳むとスリムで格好いいんですよ」とほれ込む。それだけに「本当に寂しい」と閉店を惜しんだ。

 近年は中国製やプラスッチックが主流になり、材料を日本製だけでまかなうのは難しくなった。後継者もおらず、材料が底を尽きれば引退しようと数年前に決断。5月18日、最後の1本を仕上げて店を閉じた。

 仁史さんが熟練の技術で生地を裁断し、千枝子さんが縫う。一本一本に丹精を込め、二人三脚で傘を作り続けて半世紀が過ぎた。

 「責任ある仕事でしたが、お客さまに温かい心をいただき、感謝ばかりです」と千枝子さん。仁史さんは「夫婦のどちらが欠けてもできなかった。家庭でも仕事でも、縁の下の力持ちだった家内には感謝、感謝です」と長年連れ添った愛妻に優しいまなざしを向けた。