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【平成の名所はこうして生まれた】角島大橋(1)「ここなら奇蹟が起きる」

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【平成の名所はこうして生まれた】
角島大橋(1)「ここなら奇蹟が起きる」

青い海に伸びる角島大橋。天候が良ければ奇跡のような美しさを見せる 青い海に伸びる角島大橋。天候が良ければ奇跡のような美しさを見せる

 ■沖縄県知事もうなった美しさ

 白く波立つ青い海に、橋がまっすぐ伸びる。

 「すごいな」

 俳優、吉岡秀隆(47)演じる主人公が、車を走らせながら、つぶやく。

 カメラが少しずつ引く。やがて空から写した橋の全景がスクリーンに広がる。平成17年に公開された映画「四日間の奇蹟(きせき)」の1シーンだ。

 主人公のつぶやきは、もともと監督の言葉だった。

 「角島大橋を私が最初に見たときに漏らした感想を、そのままセリフにしよう。あの映像があれば、それ以上の言葉は不要だ」

 山口県下関市出身の映画監督、佐々部清(60)が、最初に角島大橋を渡ったのは、15年ごろだった。

 その美しさは、ずっと佐々部の心に残った。

 「四日間の奇蹟」は、主人公の周囲で神秘的な出来事が起き、絶望のふちから、生きる意味を見つけ出すストーリーだ。

 「この橋を渡れば、ファンタジーの世界に導いてくれるような気になる」。佐々部は、映画プロデューサーらに角島ロケを訴えた。

 プロデューサーは乗り気ではなかった。角島大橋は、離島と本土を結ぶ生活道路だ。観光名所ではない。評価以前に、その橋を知らなかった。

 佐々部は、プロデューサーを現地に連れて行った。「負けました」。プロデューサーの口から一言漏れた。ロケが決まった。

 17年2月、撮影が始まった。カメラを回す前日、佐々部は主演の吉岡を連れ、角島大橋を渡った。

 「佐々部さん、よく分かりました。ここなら、奇蹟が起きてもおかしくないって思えます」

 映画は6月、全国公開された。

 興行的に成功したとはいえなかった。だが、映画関係者に大きな反響を呼んだ。

 「あんな良い橋、どこに残っていたんだ?」

 数多くの監督仲間が、佐々部に声をかけた。

 「角島や角島大橋も、役者に並ぶ主演なんだ。こんな映画、過去にはなかった」。佐々部は喜んで、角島の情報を教えた。

 その後、テレビドラマやCMの撮影が相次いだ。

 木村拓哉(45)主演のドラマ「HERO特別編」(18年7月放送)や、トヨタ自動車のレクサス、マツダ・デミオ、スズキ・スイフトなど、自動車CMに相次いで登場した。

 ベストセラー「死ぬまでに行きたい! 世界の絶景」にも掲載された。

                 × × ×

 人口800人の角島を全国に知らしめた橋は、平成12年11月に開通した。

 「この美しい姿は、全国から人を呼び込む力がある」。橋のたもと、豊北町の広報広聴係の松下晋治(55)=現下関市豊北総合支所市民生活課課長補佐=は感じ入った。

 毎月発行する広報誌の作成が、主な仕事だった。開通式典の取材で、橋の美しさに圧倒された。

 「豊北町をPRするには、角島大橋しかない」。翌13年1月号のテーマに決めた。新年号は最も力が入る。作業に取りかかった。まず写真撮影だった。

 新年にふさわしく、日の出を狙った。日の出と角島大橋、それに、橋桁の下を通る漁船の3つが収まる撮影スポットを探した。

 見つけた。藪をかき分けて入る小高い場所があった。

 「ここならいける」

 始業前に毎朝、通った。12月上旬と、冷え込みが厳しい時期だった。

 天候、波、漁船。すべての条件が整う瞬間を求めた。10日以上通い詰め、やっと満足のいく写真が撮れた。自信作は、新年号の表紙を飾った。

 山口県知事の二井関成(せきなり)(75)も、角島大橋を使って山口をPRした。

 14年6月、山口県下関市で九州・沖縄・山口9県の知事による九州地方知事会議が開催された。

 福岡県の麻生渡(79)や、大分県の平松守彦(故人)ら、名物知事が集まる。

 「海と空のコントラストが素晴らしい。各県の知事に角島大橋を見てもらいたい」

 二井は、橋の本土側に立地するホテル西長門リゾートを、会議の場所に選んだ。エントランスを抜けると窓一面に風景が広がる。まるで一枚の絵のようだった。

 「景観が素晴らしいでしょう。山口県として、観光名所として売り出していきたいと思っています」

 二井は熱弁を振るった。

 角島大橋の近くには、海水浴場がある。真っ白な砂浜が有名だ。沖縄の海にだって負けるもんか-。二井はひそかに思っていた。

 沖縄県知事の稲嶺恵一(84)に感想を聞いた。

 「橋といい、海といい、沖縄と同じくらいきれいですね」

 稲嶺の返答に、二井は満足した。

 「負けたとはいってくれなかったけれど、沖縄の知事として最大の評価だろう」

 角島大橋は、旅行会社が発行する山口の観光ガイドに必ず載るようになった。他自治体からの視察も、引きも切らない。

 山口県の観光に、欠かせない存在となった。その架橋の発端は、島民の切実な願いだった。

                 × × ×

 昭和55年7月1日夜。角島に住む20代の女性が、陣痛を覚えた。

 保健師、中野和子(66)は第2子をおなかに宿していた。

 2年前に長女を出産したとき、陣痛が始まってから出産まで3日近くかかった。中野は、助産師の資格も持つ。知識はあった。

 「2番目の子は最初の子に比べて、陣痛から生まれるまでの時間は半分くらい。まだ大丈夫だろう」

 角島に、出産に対応できる医療機関はない。妊婦は本土で産むのが普通だった。

 本土に渡る船は朝5時台からある。第1便に乗れば、余裕だと思った。

 「病院に着いても、そこから時間がかかったら、お医者さんや看護婦さんに迷惑をかけてしまう…」

 出産を早めようと、自宅で階段を上り下りした。これが、いけなかった。

 急激に、陣痛の間隔が短くなった。「まずい。渡船の時間まで待てない」

 「渡船の時間に間に合いそうにない。おとうさん、船、出してくれんかね?」。漁師の義父に頼んだ。

 義父は大慌てで漁船を準備した。バスタオルやガーゼなど、入院用の荷物を抱えて、夫も一緒に3人で船に乗った。

 乗船して15分くらい。破水が始まった。本土までまだ20分はかかる。「ここで産むしかない」。覚悟を決めた。

 夫に、荷物の中からバスタオルを出してもらい、船室の床に敷いた。慌ててはいたが、冷静だった。

 「逆子だと大変だ。いきむから、髪の毛が見えるかどうかだけ確認して!」

 夫に頼んだ。

 夫の目に、黒い髪の毛が見えた。逆子ではなかった。一安心して、何度か力を入れると、全身が出てきた。ガーゼとタオルで顔をぬぐい、お尻をたたいた。元気よく泣き出した。無事だった。バスタオルにくるみ、到着した港から、病院に向かった。

 「へその緒が赤ちゃんの首に巻き付いていたら、アウトだった」

 病院について安心すると、恐ろしさがわき起こってきた。

 同時にこう考えた。「橋ができたら、間違いなく人の命を救う橋になる」

 島内で架橋を求める声が、少しずつ広がった。中野の船上出産から3年後の昭和58年11月、角島選出の豊北町議、工藤徳一(故人)は、島の有力者に呼びかけ「角島大橋建設期成同盟会」を設立した。

 だが、「夢の橋」を架けるのは、簡単ではなかった。 (敬称略)

                   ◇

【用語解説】角島大橋

 山口県下関市豊北町の神田地区と角島(人口約800人)を結ぶ。路線名は一般県道角島神田線。長さ1780メートル、幅6・5メートルの片側1車線道路。28本の橋脚で支える。平成3年に事業が始まり、12年に完成した。完成当時、一般道路の橋として全国最長だった。建設費は132億円。