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【静岡・古城をゆく 北条五代の史跡】江戸城攻略(東京都千代田区)

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【静岡・古城をゆく 北条五代の史跡】
江戸城攻略(東京都千代田区)

 ■水利の要衝制圧し戦線拡大

 伊勢宗瑞(北条早雲)の亡き後を継いだ氏綱は鎌倉幕府執権・北条氏の後裔(こうえい)であるかのように名字を北条へ改称し「相州太守」であることを主張した。先代支配者の関東管領・上杉氏に対抗するものだった。

 この上杉氏も数家に分かれ、台頭したのは山内上杉氏と扇谷上杉氏。ところが、両氏は常に対立関係にあり、早雲、氏綱は扇谷上杉氏の支援を盾に武蔵南部の有力な三田氏、大石氏らを服属させて勢力を拡大していく。これに危機感を覚えた扇谷上杉氏は山内上杉氏と和睦し対抗した。

 氏綱が次の目標にしたのは扇谷上杉氏の起点であった江戸城攻めだった。江戸城には家宰として名をはせた太田道灌の孫に当たる資高(すけたか)が在城していた。大永4(1524)年、氏綱は資高を内応させ、扇谷上杉朝興を同城から追い落として攻略に成功する。

 江戸城は東京湾にそそぐ利根川、荒川など水路の大動脈の要衝に位置した。ここを押さえることで北条氏は武蔵北部(埼玉県)や下総(千葉県)へ戦線を拡大し、房総支配者の里見氏との攻防が繰り返された。

 ところで、鎌倉期の御家人で関東平氏一門の江戸氏の領地だった豊島郡江戸郷での江戸城創建については、館造りと思われる。室町期の永享12(1440)年に起きた結城合戦で江戸氏が没落し、江戸郷は扇谷上杉氏に収公され、対立する古河公方・足利成氏と山内上杉氏との抑えとして太田道真・道灌父子らによって城郭構えとなった。往時の城は、現在の北の丸から本丸の伸びる丘陵上の、入間川、荒川の河口部にあり、江戸湊(みなと)も存在して舟運流通も盛んであった。

 この道灌期の城郭を北条氏が改造を加え、城代に江戸遠山氏が守備したという。(静岡古城研究会会長 水野茂)