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楠木正成の妻ゆかりの神社、富田林の楠母神社跡地が住民憩いの場に 

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楠木正成の妻ゆかりの神社、富田林の楠母神社跡地が住民憩いの場に 

 南北朝時代の武将・楠木正成の妻、久子を顕彰するため昭和15年に創建され、戦後に廃社となった「楠母神社」(富田林市甘南備)の跡地が、市の整備で住民の憩いの場へ生まれ変わった。石像を含む遺構類は残され、神社があったことを思わせる形に。地元住民らは、長年荒れ地だった神社跡の新しい姿に喜びつつ、次世代へ引き継ごうと決意を新たにしている。 

 夫・正成の戦死後、嫡男の正行を育て上げた久子は「非常時における女性のあり方の象徴」として、明治から大正にかけて日本女性の手本とされていた。同市甘南備にあった久子終焉の地である草庵・楠妣庵も同じ時期に楠妣庵観音寺として再興された。

 こうした背景から寺は女性の精神修養の場として活用されていたが、昭和12年には約100人が宿泊できる修養道場「若楠寮」が完成。その建物裏に建てられたのが楠母神社だった。

 戦後は若楠学園と名を変えた若楠寮は、戦災孤児たちを保護していたが、40年代に市外へ移った。一方で、廃れた神社は50年ごろには廃社式も営まれ、御霊は市内の別の神社へと移されたという。

 跡地が市有地などに変わる中、地元住民らは草や竹で埋もれる姿を前に「楠母神社の跡を放っておいてはいけない」と決意。草刈りや竹の伐採を地道に重ね、10年ほど前からは市の協力も得て八重桜や山桜など約100本を植えて土地を守りつつ、市に整備を求めてきた。

 そうした中で、今春には本格的な整備事業が実現。うっそうと茂っていた竹を伐採したほか、車の出入りが難しかった神社跡までの坂道をコンクリートで舗装し、社殿跡近くの平らな部分も整地した。社殿前の石碑はそのまま残され、放置されていた狛犬や女性をかたどった石像などはフェンスで囲んだ。像が転倒した場合を考えての安全対策だが、それでも神社があったことをしのばせる形になっている。

 今春、桜の時期には地域住民が集まっての花見も行われたほか、アジサイも新たに植えられた。現在、神社跡近くに住むのは約100人。住民たちの努力の成果を前に元町内会長の農業、尾花信夫さん(78)は「神社跡が整備されたのは本当にうれしい。同時に、住民には『ここに楠母神社があった』ということを伝えていってほしい」と語った。(藤崎真生)