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【維新を歩く】隆厳院(南アルプス市) 「新時代」に投資 若尾逸平の生き方

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【維新を歩く】
隆厳院(南アルプス市) 「新時代」に投資 若尾逸平の生き方

 残念ながら、山梨は「幕末の志士」とは縁遠い土地柄だったようだ。四方を山々で覆われ、京からも、江戸からも“隔絶”されていたからか。それだけではないだろう。

 甲府は幕府の直轄領で、城を警護する「甲府勤番」という制度に支配されてきた。旗本たちが大勢赴任し、町方を取り仕切った。このため、他の諸藩の藩士たちとは違って、天下国家を論じる若者が育ちにくい雰囲気だったのかもしれない。

 だが、甲州の人たちは時代の大きなうねりを傍観していたわけではなかった。「商」の世界では、次代を見据え、大志を抱いた人材が活躍した。若尾逸平(1820~1913年)はその代表格だろう。

 南アルプス市在家塚の曹洞宗「隆厳院」を訪ねた。若尾家の本家の菩提寺(ぼだいじ)だ。明治40年に建立された高さ10メートルを超える若尾の銅像が建つ。戦時中に銅供出で台座だけ残され、昭和62年に地域の有力者らが再建した。

 この地の貧しい家に生まれた若尾は、てんびん棒を担いで笹子峠を越え、地元の葉タバコなどを行商しながら身を立てた。1859年の横浜開港後は、甲州の生糸や水晶を運び、巨万の富を得た。

 明治維新後に初代甲府市長や貴族院議員を務め、「若尾銀行」を設立。山梨中央銀行の前身「第十国立銀行」の創設に深く関わるなどした。

 「この辺りの原七郷はかつて、『月が出ると桑が枯れる』ともいわれたが、若尾逸平さんが(北岳の麓の)夜叉神峠まで自ら登って水利権獲得に尽力し、水に困ることはなくなった」

 植松芳充住職(80)が、幼少期に周囲の大人たちから聞いたという話を教えてくれた。若尾は釜無川の「開国橋」の架設や架け替えで資金を提供したことでも有名だ。いずれも明治に入ってからのことだ。

 幕末期の詳細な記録はほとんど残っていないとされるが、植松住職は「水晶のかけらを集めて(わらで作った)かますという袋に入れて運んだと聞いている。目端が利いていたようだ」と話す。「外国人に人気」との情報を聞き、昇仙峡(甲府市近郊)などで集めたようだ。

 「若尾逸平展」(13日まで)を開催している山梨中銀金融資料館の亀井大輔学芸員も、「大きな転機は横浜開港だった」と指摘する。「初めて見た生糸を干しダイコンと思い込んで売り込もうとしたなど失敗もあったが、信用を何より重んじた」

 若尾は献金によって新政府と深い関係を築き、蚕糸業の支配権を確保した。「株式を買うなら乗りものか灯(あか)りだ」。投機的な手法で成り上がった若尾の誘いに、後に「甲州財閥」と呼ばれる山梨出身の事業家たちが同調した。明治20年代に東京電燈(後の東京電力)株の買い占めを続け、30年代には若尾らが経営権を得る。

 新たな「時代」に投資し、その利益を故郷と「公」に還元した若尾の生き方は、志士と相通じるものがある。 

 ■隆厳院 南アルプス市在家塚1819。中部横断自動車道白根インターチェンジ(IC)から車で約5分。若尾逸平の銅像は境内入り口の正面。入り口にはかつての「開国橋」の親柱も置かれている。

 ■山梨中銀金融資料館 甲府市中央2の11の12。「甲州金」に関する展示で知られる。若尾逸平展では「東京電燈株式申込名簿」など貴重な史料が見られる。開館は午前9時~午後5時。閉館日は金曜、土曜と祝日。入館無料。(電)055・223・3090。