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尊皇の志士・田中父子を追悼 小豆島で顕彰会員ら法要

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尊皇の志士・田中父子を追悼 小豆島で顕彰会員ら法要

 明治維新前夜の尊皇の志士、田中河内介、左馬介父子の顕彰活動を続ける小豆島(香川県)の「田中河内介顕彰会」の会員ら約40人が29日、父子の墓地がある小豆島町福田の小豆島霊場84番札所・雲海寺で法要を営み、墓参と総会を開いた。

 河内介は但馬.神美村(現在の兵庫県豊岡市)出身で、のちに明治天皇となる祐宮の養育係を務め、尊皇攘夷運動に奔走した。

 父子は、尊皇攘夷から公武合体へと方針を転換した薩摩藩が藩兵を従えて京へ向かったのを受け、同藩の攘夷派藩士らと攘夷決行を企てて文久2(1862)年4月23日、京都・伏見の船宿「寺田屋」結集した。後に「寺田屋事件」として知られるが、父子が中心的人物だったことは歴史の中で埋もれている。

 事前に察知した薩摩藩は藩士とともに父子を捕らえ薩摩へ護送。父子は途中の播磨灘沖で惨殺されて海へ投棄された。当時の代官所への報告書には、5月1日に同寺近くの遠手浜に漂着した足かせが付いたままの遺体について服装などの詳細が記されている。

 父子の事件は長く秘匿されたが、明治の元勲、品川弥次郎の呼びかけで名誉を回復し、明治32(1899)年5月に宮内省などが哀悼碑を建立、現在は同寺の墓地に移設されている。総会では歴史愛好家が探訪しやすいように、福田港に同寺までの案内板(縦約2.4メートル、横約0.9メートル)を設置することを決めた。