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【自慢させろ!わが高校】市立鹿児島玉龍高校(下) 郷土を牽引するリーダーへ

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【自慢させろ!わが高校】
市立鹿児島玉龍高校(下) 郷土を牽引するリーダーへ

鹿児島玉龍の名物行事「玉龍郷中」で、高校生から指導を受ける中学生たち 鹿児島玉龍の名物行事「玉龍郷中」で、高校生から指導を受ける中学生たち

 ■薩摩の伝統継ぐ郷中教育

 鹿児島市立鹿児島玉龍高校は、地域社会を牽引(けんいん)する多彩な人材を数多く輩出している。卒業生、何よりも同期生のつながりが強い。

 弁護士の池田●(わたる)氏(77)=昭和34年卒=は鹿児島県弁護士会の会長も務めた。同期には、地域総合商社「南国殖産」の永山在紀社長ら錚々(そうそう)たる顔ぶれが並ぶ。池田氏は中でも、厚生労働相を務めた自民党の尾辻秀久参院議員(77)との仲が良かったと懐かしむ。

 尾辻氏は25~30歳のとき、世界77カ国を放浪した。帰国後、「ボッケモン世界一周」のテーマで講演活動をしていた。

 そんなある日、池田氏に「何か仕事はないかな?」と相談してきたという。

 「忘れもしない。私の法律事務所の近くでした。告示を控えた鹿児島県議選の張り紙があったんです。それを見て『挑戦してみたら、どうだ』と、彼の背中を押したのが、政界入りのきっかけとなった」

 尾辻氏はさきの大戦中、3歳のとき、ソロモン群島沖の海戦で父親を亡くした。「彼は玉龍を卒業後、防衛大に進学したが、20歳で母親も亡くした。妹の義(のり)さん(後に鹿児島県議)の世話のために防大を中退し、鹿児島に戻ってきた。アルバイトをして妹を大学へ通わせ、23歳で東大に入り直す。そんな苦労人だった」

 尾辻氏の過去と実直な人柄を知る池田氏。その後、活躍の場を国会に移した旧友の人生の歩みを、わがことのように喜んだ。

 玉龍を巣立ったOBには、カリスマ経営者として知られる京セラ創業者、稲盛和夫氏(86)がいる。平成26年秋には、同窓会の招きで講演した。

 稲盛氏は京セラ会長時代、母校を訪ねた。

 岩崎産業グループの「白露酒造」社長の岩崎麻友子氏(49)=昭和62年卒=は、当時の高校のフィーバーぶりを鮮明に記憶している。

 「稲盛さんは在学中、学校に図書を寄贈してくれた。講演と交流の集いも2回あった。当日は授業も休みになり、生徒たちは『稲盛祭り』と勝手に命名して、大盛り上がりでした」

 鹿児島では毎年11月、稲盛氏が設立した「稲盛財団」が主催し、科学や文明の発展に貢献した人に贈る「京都賞」の受賞者たちが講演会を開く。その会場には玉龍生も招待される。

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 「玉龍といえば部活動でしょ!!」

 高校のPR用パンフレットには、こんな文字が躍る。その言葉通り、部活動が盛んで、生徒の9割が参加する。文化系では併設する中学校との合同の部活動もある。

 地方の伝統校は校訓などで「文武両道」を掲げる。玉龍も例外ではない。ただ、同校の卒業生によると、「文武分業」が実態だったようだ。

 弁護士の池田氏は剣道部で汗を流した。

 「少年時代は剣術家の宮本武蔵らに憧れ、竹刀を振り回していた。鹿児島大教育学部附属中学校に通ったころ、自ら剣道部を作った経験もあり、高校もその流れで入りました」

 部活動での練習は、週にわずか1回だった。

 「熾烈(しれつ)な受験戦争に突入した時代。『四当五落』という言葉にあるように、寝る間も惜しんで勉強し、4時間の睡眠なら合格するが、5時間も眠っているようでは合格できない。部活動はほんの息抜きでした」と振り返る。

 運動部の強豪校として、玉龍の名が全国にとどろいた時代もあった。

 男子バレーボール部は昭和45年と47年、全国選抜バレーボール大会(春高バレー)に出場し、4強入りを果たした。

 白露酒造の岩崎社長は、男子バレー部のマネジャーを務めた。

 高校が錦江湾に近く、真夏の練習では磯海水浴場まで2キロ、走り込んだ。「磯ラン」と呼ばれた。

 「海岸に着くと、皆で泳ぎ、身体をクールダウンする。その後、近所の店で人気の郷土菓子『両棒餅(ぢゃんぼもち)』を食べるのが楽しみでした」

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 心身と身体とを鍛える名物行事も多い。

 かつては、磯海岸から眼前に広がる桜島まで泳いで渡る「錦江湾横断遠泳」が筆頭格だろう。

 九州大学長の久保千春氏(70)=昭和41年卒=は水泳が好きだった。

 「1、2年生のとき、希望する有志を募り、参加した。距離にして4・5キロ。泳ぎ切ったあの達成感は、最高の思い出です。忘れられません」と述懐する。

 学校周辺のコース(約12キロ)を走るマラソン大会もある。久保氏はマラソンも得意で、クラスでは1位、学校全体でも10本の指に入った。

 「大会前には南洲神社近くの坂道などで汗を流し、準備も万端で、その日を待ちわびていた。大会の翌日は足が痛くて階段を上がれないほどでした(笑い)」

 現在の「長距離縦走大会」はコースを桜島に移した。南日本リビング新聞社取締役総務部長の稲荷田(いなりだ)治美氏(51)=同60年卒=には苦い思い出がある。

 「とにかくきつかった。ただ、全員でフェリーに乗り、桜島に渡るのは楽しかった。とはいっても、学校の青緑のジャージは格好悪くて、走るのはちょっと乗り気ではなかった」

 平成18年に、中高一貫校と変わった。それを機に新たな名物行事が始まった。薩摩藩独自の青少年教育制度である「郷中(ごじゅう)教育」にならった「玉龍郷中」だ。

 郷中教育は地域ごとの縦割り教育で、「教師がいない教育」こそが最大の特色である。先輩が後輩たちを指導し、同輩は共に助け合う。いわば学びつつ教え、教えつつ学ぶ教育だった。

 毎年、実施される「玉龍郷中」では英語や数学の応用問題を課題に、玉龍高校生が中学生を指導する。中学生4人に、高校生1人がそばにつく。

 前教頭の国生勝海氏(56)=4月1日付で鹿児島県立串木野高校長=は「年齢が離れた生徒が一緒に学ぶにはなにより、相手への思いやりが大切です。相手の持てる能力をしっかりと把握し、各自に適した教え方の工夫も欠かせません。一つ一つの難問題にじっくりと挑戦しながら、中高生同士の絆も深まります」と強調する。

 郷中教育は、激動の幕末維新期をリードした多くの人材を薩摩から輩出した。

 その気風を受け継ぐ「玉龍郷中」から、次世代を担うリーダーたちが育つ。 (谷田智恒)

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 次回は福岡県立福岡農業高校の予定です。

●=さんずいに亘