産経ニュース

翻弄された諫早干拓 福岡有明海漁連・西田会長、続く混迷に隠せぬ憤り

地方 地方

記事詳細

更新


翻弄された諫早干拓 福岡有明海漁連・西田会長、続く混迷に隠せぬ憤り

 ■「開門派弁護団は漁民のこと考えているのか」

 国営諫早湾干拓事業(長崎県)の潮受け堤防排水門をめぐる混迷が続く。「開門せよ」「開門するな」という相反する司法判断がある中で、「開門しない代わりに国が漁業振興のための基金を設ける」という基金案が浮上し、福岡や熊本の漁業は受け入れを決めた。ただ、開門派弁護団は、この案を拒否した。福岡有明海漁連の西田晴征会長(74)は、産経新聞のインタビューに「開門派弁護団は本当に漁民のことを考えているのか」と憤った。(村上智博)

 「このまま裁判をしよってよいのか」「いつまで裁判をすれば有明海が再生するのか」

 私たち福岡漁連は、こうした意識を持っています。

 福岡高裁は今月5日、国が示した基金案で和解協議を進めるように、国と開門派に勧告しました。ところが、開門派弁護団は、「開門しないことが前提になっている」として、即時拒否しました。この姿勢には疑問を持たざるを得ません。回答期限まで時間があるのに、誰がみてもおかしいのではないでしょうか。

 平成9年に諫早干拓の潮受け堤防が閉ざされました。その後、有明海漁業の基幹であるノリ養殖が不作となった。諫早の事業が原因ではないかと、私も激しく憤り、デモにも参加しました。

 それから20年がたちました。排水門は閉じたままですが、今はノリの豊作が続いています。アサリの漁獲量も回復している。閉門した後、改めて海の環境、生物のサイクルができつつあるのかもしれない。

 問題は高級二枚貝のタイラギです。深刻な生育不振で、6季連続の休漁に追い込まれました。私は、国が提示した基金を使い、タイラギ回復に、沿岸4県で打ち込むべきだと考えます。

 タイラギ漁は、潜水スーツを着た漁師が、潜って採ります。特別な技術が必要な漁です。休漁の間に漁師が減ってしまった。きちんと継承できるように、取り組まないといけない。

 今、やらないと手遅れになってしまう。

 それから、諫早干拓に限らず、有明海の地形は昔と比べて、大きく変わっている。かつてあった海底炭鉱の影響で、海底が陥没しているのです。これが不漁の原因かもしれない。

 開門派弁護団の馬奈木昭雄団長らは、開門を求め、和解協議の打ち切りを主張します。

 でも、考えてください。これから長く裁判を続けて、仮に開門したところで、有明海は再生しないかもしれません。

 その時にタイラギ漁をはじめ漁業者がいなくなっていれば、何にもならない。

 そうなったら弁護団は、責任を負えるのでしょうか。

 「本当に有明海の漁民の幸せを考えて、弁護活動をやっているのか?」。馬奈木さんらには、こう問いかけたいです。

 和解協議が決裂して誰が幸せになるのでしょうか。

 ■「開門」を扇動

 有明海のすべての漁民が「何がなんでも開門」と考えているわけではありません。福岡、熊本、そして佐賀でも、多くの漁業者は、国が提示した基金案でも良い、もしくは仕方ないと思っているでしょう。

 開門を強硬に求めるのは、佐賀県南西部など、ごく一部の漁業者です。まるで馬奈木さんに洗脳されたかのように、開門を求めている。

 私も当初は、開門を求める訴訟の原告側でした。今でも「開門をして、(タイラギ不漁などの)原因究明をしてほしい」と思っています。

 一方で、現実も大切なのです。私は福岡有明海漁連の会長になって、漁連全体の、組合員全員の生活を考えるようになった。その結果、基金案の受け入れに傾いたのです。

 少しでも早く、漁連会長の立場にいるうちに、この問題を解決したい。

 こうした私の意見に「急ぎすぎだ」と反発する人もいます。しかし、こちらが「正論」であり、間違ってはいません。意見に反対する人が来るなら、正々堂々、逃げずに話をしますよ。

 再度、問いかけたい。「開門絶対反対」の人たちは、本当に有明海の漁業を再生しようと思っているのでしょうか。

 佐賀県有明海漁協の徳永重昭組合長も、私と同じような考えだと推測します。

 でも、ほんの一部ながら組合の中に強い反対がある。組織の和を保とうと、穏便にしようとして、「基金案をのむ」と言えないのかもしれません。反対派や弁護団を忖度(そんたく)しているのです。

 開門を求める原告団は約50人です。しかし、佐賀、福岡、熊本の漁業者は、その何十倍も何百倍もいるんです。

 諫早干拓訴訟の混迷は、福岡高裁が開門を命じる判決(平成22年)を出し、当時の菅直人首相が上告を断念し、確定したのが始まりです。

 菅さんは旧社会党的な、反体制的な考えの中で、いわば「開門」を扇動する側であった。そんな人だから、上告を断念するという判断になった。その後の混乱を考えれば、彼は本当の政治家ではなかった。そういうことでしょう。