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【自慢させろ!わが高校】山口県立豊浦高校(下)卒業後に解禁 幻の校歌1番

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【自慢させろ!わが高校】
山口県立豊浦高校(下)卒業後に解禁 幻の校歌1番

 ■「自分で道を切り開く」

 山口県立豊浦(とよら)高校(下関市長府宮崎町)の校歌には「幻の1番」がある。

 ♪乃木将軍の生(あ)れにしところ 狩野芳崖(かのう・ほうがい)生(うま)れしところ 剣に筆に偉人をいだす 霊気こもる地これ我が豊浦

 乃木はもちろん乃木希典。狩野は近代日本画の父と称される大家だ。

 校歌は「故郷」「春がきた」などの唱歌で知られる高野辰之(1876~1947)が作詞した。そして「海ゆかば」や交声曲「海道東征」を手がけた信時潔(1887~1965)が作曲した。

 豊高は昭和3年、昭和天皇の即位を記念し、校歌を制定した。それまで創立から30年近く、校歌がない状態だった。

 高野、信時はともに東京音楽学校教授を務めていた。当時の文部次官だった卒業生を通じて、両者に依頼したという。ようやくできた校歌に、生徒の感激もひとしおだった。

 だが、終戦で空気が変わった。1番の歌詞が「教育現場にふさわしくない」とされたのだ。

 戦前、高野・信時コンビの校歌は、全国で30曲以上あったとされる。だが戦後、新たに作り直されたり、愛唱歌や応援歌に「格下げ」される例が次々と生じた。

 豊高は、1番を歌わないことを決めた。戦後教育の風潮と折り合いをつけながら、校歌を守り抜く-。封印は、愛着のたまものといえるかもしれない。

 母校で教鞭(きょうべん)を執る関東和寛教諭(57)=80期=は「校歌を通じて、豊高をもり立てる感覚を身につける。生徒はどんな場面でも、びっくりするほど大声で歌います」と語った。

 1番は卒業と同時に「解禁」される。

 地元にある昭栄石油の西川裕之社長(59)=78期=は、卒業後に参加した同窓会総会で、初めて1番から歌った。

 「やっと歌えた、と感慨深かった。1番は、豊浦の武骨さやバンカラ気質を表しているようで大好きです。仲間が5~6人集まれば、最後は肩を組んで大合唱。下関ではカラオケにも入っています」

 西川氏は、校歌をこんな風にも活用する。

 「飲み屋で、どっかで見たことある顔だな、ってことあるでしょ? 僕は小さい声で校歌を歌うんです。相手がハッとした顔で振り向いたら、すかさず『何期ですか』と尋ねる」

                 ■ ■ ■

 豊高は、江戸時代の長府藩の藩校「敬業館」に端を発し、明治32年に旧制中学校として発足した。当時の生徒気質について、1期生の回想文が残っている。

 「英雄気取りともいうべきか、将来の大臣大将を夢想し、質素を貴び華美を戒めた。(中略)肩を怒らし、堂々市内を闊歩(かっぽ)する」

 英雄気取りの生徒は、反骨精神が旺盛だった。気に入らない教員の授業をストライキしたり、生徒と衝突した校長の「排斥運動」を展開することもあった。

 二・二六事件(昭和11年)の主要メンバーで、後に死刑になった田中勝陸軍中尉も出身者だ。テロ行為には全く賛同できないが、動機には世を憂い、正義感に駆られた面もある。豊高気質が極端に表れたと言えなくもない。

                 ■ ■ ■

 豊高は昭和7年、校訓を決めた。

 「至誠一貫 進取向上 自治協同」の3つだ。制定した田中巌校長は、自身もOBだった。当時の校友会誌で、意義を説いている。

 「自ら治め衆と倶(とも)にし以て日に進み日に新たに、而して之を貫くに至誠を以てせば、必ずや幾十年伝統の善美なる我が校風と顕著なる成績とに、更に陸離たる光彩を添ふる」

 自ら道を貫く-。映画やアニメ音楽でも知られる作曲家、和田薫氏(55)=82期=は、今も校訓を強く意識するという。

 部員わずか7人で、廃部寸前だった吹奏楽部に入り、ホルンを担当した。先輩も指導者もおらず、友人と2人で、ひたすら自主練習を続けた。

 「当時は音楽をやっていると、先生からも『男のくせに軟弱だ』といわれたものです。でも、それを発奮材料に、独学で音楽を学びました」

 作曲にも興味を持ち、旺文社の全国文芸コンクール作曲部門で入賞するなど実績を残した。東京音楽大に進学後、「ゴジラ」テーマで知られる音楽家、伊福部昭氏らに師事した。

 和田氏はアニメ「犬夜叉」「ゲゲゲの鬼太郎」、月9ドラマ「バージンロード」の主題歌など、多くの曲を世に送り出した。

 「卒業生には、指揮者や米米CLUBのサックス奏者になった人もいます。皆、自分自身で道を切り開いた。『至誠一貫』『自治協同』は、卒業しても豊高生の信念だと思います」

 和田氏の後輩、吹奏楽部元部長の平田乃々葉さん(18)は「人をまとめるのは難しく、悩むことも多い3年間でした。でも、豊高だからこそ、自分の道を進めました」と言い切った。

 下関市内で事務所を開く藤井幸郎税理士(43)=94期=も「在校時は修学旅行がありませんでした。水泳部の仲間と頑張って中国大会まで進み、宿泊の思い出を作った。自由で、とにかく何でもやりました」と振り返った。

 初夏の文化祭「豊高祭」も、校訓を体現している。演劇や飲食店、ステージイベントなどさまざまな催しは、全て生徒が運営する。

 お笑いタレントの波田陽区さん(42)=95期=は、同級生とコントを披露した。

 「当時はまだ男子校でした。普段、汗臭い男しかいないところに、いい香りの異性がいる。内心ドキドキ。まぁまぁウケたので『最高に面白かった! 付き合ってください!』という告白を待っていましたが、虫も寄ってこなかったです…」

 「ギター侍」でブレーク後、同窓会総会に顔を出しては、恩師を「ぶった斬り」する。

 「豊高では、愛があればいつか人に伝わると学びました。この世界、うまくいかない時も多いですが、あきらめず愛を持って生きています」

 校訓を胸に、社会の荒波に立ち向かう卒業生は、数多い。(大森貴弘)