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【突破力】浜田酒造(いちき串木野市) 維新とともに生まれ世界へ

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【突破力】
浜田酒造(いちき串木野市) 維新とともに生まれ世界へ

 明治元年に創業し、今年150周年を迎える。

 「伝統」「革新」「継承」をテーマとする3つの蔵を構える。5代目の浜田雄一郎社長(64)は「本格焼酎を真の國酒へ、更には世界に冠たる酒へ」と目標を掲げる。

 今年2月3日、緑に囲まれた焼酎蔵「薩摩金山蔵」(鹿児島県いちき串木野市野下)で、30年ぶりに更新されたトロッコ列車の出発式が開かれた。地元小学校の児童や保護者ら29人が列車に乗り、歓声を上げた。

 金山蔵のある地域は、文字通り金や銀を産出する串木野鉱山があった。鉱山は300年の歴史を持ち、江戸時代は薩摩藩を、明治維新後は日本の近代化を支えた。鉱山は平成になると、操業を停止した。

 焼酎蔵は平成17年に開業した。坑道内に焼酎仕込み蔵と貯蔵庫を有し、カフェも併設した。

 トロッコ列車は焼酎や原料のサツマイモ、そして杜氏を運ぶ。

 「おいしい焼酎を消費者に届けるとともに、地域の歴史や文化を継承することも、この地で育った企業としての使命だ」

 浜田氏が語る通り、蔵では鹿児島の歴史や文化を学ぶ「薩摩金山私学校」も開催する。人気の観光スポットにもなった。

 江戸時代の焼酎造りを再現する金山蔵を含め、浜田酒造の3つの蔵は、特徴的だ。

 創業の地・同市湊町にある「伝兵衛蔵」は、昔ながらの木桶蒸留器を使い、甕(かめ)仕込み、甕貯蔵という明治・大正期の製法を守る。

 「傳(でん)藏院蔵」(同市西薩町)は、最新鋭システムを導入し、高品質焼酎を量産する。

 このうち伝兵衛蔵は現在、改修工事が進む。ここに焼酎造りに関する展示場を設け、薩摩焼酎の伝統と文化を伝える。

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 浜田氏は、大学を中退して家業を継いだ。

 昭和50年の夏、帰省中に会社でアルバイトをしていた。すると従業員から後を継ぐように、求められた。

 4代目の父はよく、「私は学徒出陣の生き残りであり、亡き戦友や戦没者の分まで国や地域に尽くしたい」と語っていたという。

 その父は社業のかたわら県議も務めていた。多忙だった。

 「早く父を助けよう」。浜田氏は大学を中退し専務として入社した。以来42年間、経営を担ってきた。

 酒造業界は免許制で、国のコントロールが強い。

 その中にあって、「自立自興」を意識した。販路開拓と、おいしい本格焼酎を追求した。

 上質なサツマイモを求めて、農家と直接契約を結んだ。仕込みに使う米も、従来の払い下げ米(外国産)から、国産に切り替えた。

 「完全国産主義」を貫いた結果、品質も向上し、全国に評価されるようになった。

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 平成15年に転機が訪れた。飲料大手サントリーと、商品の共同開発を始めた。

 「サントリーは西洋の蒸留酒の代表であるウイスキーを、独自の切り口で日本の文化にした。文化的な物差しで物事を評価できる会社となら、今までにない本格焼酎ができると思った」。浜田氏は共同開発の狙いを、こう語った。

 そこで誕生した本格芋焼酎「黒丸」は、浜田酒造が生産し、サントリーが販売する。双方の強みを生かした協業で、焼酎を世界へ広げる素地ができた。

 とはいえ、焼酎業界の置かれた環境は厳しい。日本酒やワインなど、他の酒との競争は激しくなる。人口減少は、飲み手の減少を意味する。

 「業界全体で切磋琢磨(せっさたくま)して本格焼酎の魅力の底上げを図りながら、広く海外にマーケットを構築していきたい」(浜田氏)

 幕末、五代友厚や留学生を含む薩摩藩遣英使節団は、串木野の港から大海原へこぎ出した。メンバーは帰国後、さまざまな分野で明治維新と日本の近代化に貢献した。

 維新とともに歴史を刻んだ酒蔵は、世界を目指して挑戦を続けている。 (谷田智恒)