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【そして、志す】(3)石巻 元高校教諭の漁師・阿部優一郎さん(47)

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【そして、志す】
(3)石巻 元高校教諭の漁師・阿部優一郎さん(47)

 ■弟の思いを甥につなぐ

 「この子が大きくなるまで、『漁師になる選択肢』を残しておく」

 元高校教諭、いまはギンザケ養殖の漁師は考える。生活は苦しいかもしれない。けれど、歯を食いしばってでも、「お前の親父がやっていた仕事だぞ」と、甥(おい)に伝えられる日まで。彼の両親がもういないことすら、まだ話せないでいるのに。

 石巻市雄勝町で20代続く漁家。継ぐ気などはなかった。20歳でアメリカの大学に飛び、卒業後は英語教師に。留学を志望する教え子に英語を叩き込んだ。充実感があった。「一生、先生をやるんだろうな」。自然にそう思っていた。

 3月11日のひどい揺れ。不安がよぎったが、当時いた福島県に、雄勝町の情報はなかなか届かなかった。寸断された道を縫って、やっとたどり着いたのは、変わり果てた故郷。弟の遺体はすぐに見つかった。親戚を助けにいった末、津波に巻き込まれたと聞いた。

 弟の妻は自宅から10キロ離れたところで発見された。母はいまも見つかっていない。無事だったのは、父と弟の息子だけだった。

 母を捜しに、福島から通いつめた。「まだ、どこかにいるかもしれない」。高校教諭の職は3月末に辞め、漁師をやろうと決めた。親を手伝って以来、20年ぶり。不安だったが、甥にバトンを渡したかった。

 7年経ち、漁師の仕事は、やっと軌道に乗りはじめた。だが甥についた「遠くに仕事に行ったんだよ」という嘘を、正直に話せずにいる。「お父さんとお母さんはどこ? いつ帰るの?」。何回も聞かれた。3歳くらいの子には、とても言えなかった。「遠くにいるよ」。そのまま。

 海外に行く直前、弟と話し合った。「俺は継がないよ」「じゃあ、俺が継ぐしかないな」。弟は乗り気ではなかった。あのとき、自分が継いでいたら、自分が死んでいたかもしれない。

 「もしも、私が死に、弟が生きていたら、やっぱり弟は私の子を我が子のように育てたと思う」

 自分の長男も20歳になり、ギンザケ養殖を手伝ってくれる。いつか甥と3人で海に出たいと思っている。たとえ、家族を奪った海だったとしても。

 「海外に行った私が言えることではない。あくまでも自然な形で彼が漁師になってくれたらいい。それが、弟の望みだと思う」

 兄は続けた。

 「弟はよく、まだ小さい甥を連れて海に出ていた。当時の記憶がどれだけ残っているのかは分からない。私はつなぎ役でいい。可能性だけは残したい」

                  ◇

【プロフィル】あべ・ゆういちろう

 昭和45年、宮城県石巻市雄勝町生まれ。地元の高校卒業後、アメリカの大学に入学。卒業後は東北高、桜の聖母学院高の講師・教師を務めた。震災を受け、故郷・雄勝町に戻り、父や弟の後を継ぎ漁師に転身。以来、ギンザケ養殖などを営む。