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【自慢させろ!わが高校】佐賀県立佐賀西高校(下) 弘道館に連なる「栄城山脈」 世界で力を試す

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【自慢させろ!わが高校】
佐賀県立佐賀西高校(下) 弘道館に連なる「栄城山脈」 世界で力を試す

福岡栄城会の総会で万歳三唱する参加者=平成29年10月28日、福岡市博多区(福岡栄城会提供) 福岡栄城会の総会で万歳三唱する参加者=平成29年10月28日、福岡市博多区(福岡栄城会提供)

 「手を上げんしゃい。きつかばってん、頑張れ」

 昨年10月28日。福岡・博多駅近くの中華料理店「八仙閣」本店で、佐賀弁が響いた。佐賀西高校の卒業生250人が、ラジオ体操を始めた。福岡に拠点を置く同窓会「福岡栄城会」の年次総会での余興だった。

 同会会長の鈴木元氏(67)=佐賀西高4回生=が音頭を取る。福岡銀行常務から熊本ファミリー銀行(現熊本銀行)頭取を務め、今は九州倉庫(福岡市博多区)の副社長だ。

 楽しそうに体を動かした鈴木氏は「同窓会で顔を合わせると、20代から80代まで、何か縁を感じる。芯が強くて真面目な友人ら、高校時代の思い出も、ふとよみがえる」と語った。

 前身の佐賀高校や旧制佐賀中学を含めると、卒業生は6万人に上る。佐賀城の別称である「栄城」を冠した同窓会組織は、地元佐賀や福岡だけでなく、関西、首都圏、中部と各地にある。

 関西栄城同窓会の石崎克弘会長(73)=佐賀高校14回生=は佐賀を離れ、40年になった。離れているからこそ、母校愛が募る。

 大阪で電子回路の設計会社を営む。取引先との会話で、高校が話題になり「おっ、佐賀の名門ですやん」と言葉をかけられる。

 くすぐったくもあり、うれしくもある。自分自身の足元を認められたような気がする。

 高校野球の県予選のシーズンは毎年、佐賀まで応援に駆けつける。観客席から、後輩のプレーを見守る。

 「客席で『EIJO』の帽子をかぶると、母校を近くに感じる。在校時、校長先生から勉学でも何でも一番であれ、と教えられた。後輩には甲子園に出場し、一番になってほしい」と目を細めた。

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 西高の源流は、佐賀藩の藩校「弘道館」にある。直接の前身は、明治9(1876)年、弘道館の跡地にできた佐賀変則中学校だ。

 「変則」は正規の中学校に準ずるものとして設けられた。当時、全国統一の学校制度ができたばかりの、いわば過渡期だった。

 また、佐賀変則中学ができたのは、江藤新平らによる佐賀の乱から2年後であり、西南戦争の前年だった。維新から10年近くが経過したとはいえ、世情はいまだ騒然としていた。

 その後、佐賀変則中学校は、佐賀中学に名前を改称した。

 戦後の昭和24年になると、佐賀中学、佐賀高等女学校、成美高等女学校の3校が統合し、佐賀県立佐賀高校ができた。

 戦後のベビーブームもあり、生徒数は3千人にまで膨らんだ。旧制中学時代と同じ場所の西校舎に加え、少し離れた場所に、北校舎を造った。体育祭も数日間に分けて開くほどのマンモス校だった。

 38年、ついに生徒の募集が停止され、佐賀高校は3つに分離した。

 西校舎が佐賀西高校として、北校舎は佐賀北高校となった。その上で、佐賀東高校を新設した。

 3高の前身は同じだが、やはり旧制中学以来の場所にある西高が、ひときわ存在感を放つ。

 地元の政財界を牽引(けんいん)する卒業生の人脈は、「栄城山脈」と呼ばれる。

 佐賀の歴史に詳しい公益財団法人「鍋島報效(ほうこう)会」の評議員、大園隆二郎氏(65)=佐賀西高6回生=は「弘道館が育んだ気風が、山脈を作り上げた」と強調する。

 弘道館では、学問を尊重した上で、机上で終わらせず、社会に役立てるのが、本当の人材だと考えたという。「学ばざる者、教えるべからずで、先生も人間的に大きかった。その後の佐賀中学・高校や戦後の西高に通じる」。大園氏はこう語った。

 栄城同窓会の村岡安廣会長(69)=佐賀西高2回生、村岡総本舗社長=は、佐賀が大陸に近いことも、弘道館から西高に連なる人材育成への考え方の背景にあるという。

 「アジアが緊張すれば、佐賀は対応の拠点になる場所だ。それだけに防人の時代から、海外と向き合うことへの危機意識も高かった。その意識が、生き残るためにどうすべきか、頭も身体も鍛える環境を生み出した」と話した。

 実際、戦前の佐賀中学は優秀な軍人を輩出した。昭和19年には、軍人志望者が全国一多い学校だとして陸軍大臣表彰も受けた。

 さきの大戦で、本土空襲に備えた学童疎開を訴え、40万人の児童・生徒の命を救った辰巳栄一陸軍中将(1895~1988)も卒業生だ。海軍でも、吉田善吾(1885~1966)と古賀峯一(1885~1944)という2人の連合艦隊司令長官を出した。

 戦後復興にも貢献した。大蔵官僚の下村治(1910~89)は、池田勇人首相のブレーンとして、「所得倍増計画」を理論づけた。

 「われわれの可能性を実現するのは、意欲的、創造的なたくましさだ。日本国民の創造的能力を確信し、自信を持って、前進すべきだ」

 平成25年4月19日、安倍晋三首相は「成長戦略スピーチ」で、下村の論文を引用した。「自信をもって前進」とは、弘道館以来、佐賀の教育が目指してきた精神といえる。

 松尾敏実校長(58)=佐賀西高13回生=は昨年春、20代目校長として母校に戻ってきた。

 西高は、弘道館の蔵書だったことを示す印が押された和書や、漢文の書物など数千点を所有する。こうした書物は、佐賀県立図書館に管理を委託している。

 松尾氏は、歴代校長の写真などがならぶ校長室で、その目録に目を通した。

 「栄城を支えてきた先人の大きさを改めて感じ、学ぶ毎日です」

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 この栄城山脈の一端を伝えようと、昨年秋、1冊の本が在校生に配られた。創立140年の記念誌「栄城」だった。

 佐賀西高2年、北村優宇人(ゆうと)さん(17)は、記念誌の中で、リコーを中心とする「リコー三愛グループ」の創立者、市村清(1900~1968)に関心を持った。「経営の神様」と呼ばれた実業家だった。

 北村さんは、中学生のとき、新技術開発財団が主催するコンテストに応募したこともある。市村は、同財団設立を主導した。

 「改めてネットなどで調べると、アイデアマンで経営者としてもすごい先輩だとわかった。感銘を受けた」という。

 「先輩に負けられない。農業分野での経営者になりたい」と夢を抱く。

 日本の栄え求めつつ 世界の平和祈りつつ 力ためさむこの生命

 西高の校歌にはこうある。北村さんら在校生は、校是の「鍛身養志」の言葉通り、身を鍛え志を育み、日本や世界で力を試す日を待っている。 (村上智博)