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赤ひげ大賞に南三陸の2氏 宮城   

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赤ひげ大賞に南三陸の2氏 宮城   

 第6回「日本医師会 赤ひげ大賞」(主催・日本医師会、産経新聞社、特別協賛・太陽生命保険)の選考委員特別賞に、宮城県内から南三陸町の歌津八番クリニックの鎌田眞人院長(60)、佐藤徹内科クリニックの佐藤徹院長(59)が輝いた。東日本大震災の津波で大きな被害が出た南三陸で献身的に医療に取り組む両氏に話を聞いた。(林修太郎)

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 ■歌津八番クリニック・鎌田眞人院長(60) 患者には壁をつくらない

 南三陸町で代々続く医院の3代目。震災時は現場にとどまり、避難所を巡回したほか、直後に町内に応急の診療所を設置。被災者の心身の健康維持に尽力した。

 --東日本大震災時は

 「津波で海面は真っ黒。特撮映画のワンシーンのようだった。医院は全壊。避難所の人の顔を見て、逃げるわけにいかないと感じ現場にとどまった」

 --当時のことで印象に残った出来事は

 「多くの人が集まった避難所で、(感染症の)マイコプラズマの流行を食い止められなかった。いまだに当時のことを考えると思い出す」

 --心がけていることは

 「歩けない高齢者が多いので、往診を週に4日程度行っている。患者には方言を交えて気さくに話す。壁をつくらないこと、コミュニケーションが大事」

 --願うことは

 「患者さんにはみんな元気で100歳まで生きてほしい。みんなに『肉食べて、タマゴ食べて、足の筋肉を付けて』と話している。私も85歳までは医者を続けたい。父の代からのなじみの人も多い」

 --南三陸歌津地区で医療に取り組み続ける理由は

 「ここに患者がいるから」

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 ■佐藤徹内科クリニック・佐藤徹院長(59) 地域の人が背中を押した

 秋田県出身。赴任先の南三陸町の人や自然にほれ込み志津川地区に医院を開業。一時は離れたが、南三陸が忘れがたく、同町で再開業した。

 --南三陸で開業した理由は

 「志津川病院(現南三陸病院)に赴任した際、印象が良かった。港町の活気、日が差して暖かい気候、港町の活気に海の幸。故郷に海がなかったこともある」

 --震災の発生時は

 「当時は診察中だった。震災直後から各避難所を巡回し、また多くの遺体の検視にも立ち会った」

 --一度は離れた南三陸で再び医療に従事しようと思った理由は

 「半年ほど名取市の病院で勤務した。だが、平成23年5月の連休ごろから『ここは私の居場所じゃない』と思うようになった。用事で南三陸に戻るたび地域の人に『また戻ってきてよ』と言われることも背中を押してくれた」

 --現在も被災地・南三陸にとどまる理由は

 「震災から7年近く経過し、今は『被災地医療』という意識はない。この町と、町の人が好き。南三陸ののんびりしたところが、自分のスタイルに合っているのかもしれない」