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久留倍官衙なぜ東向き 明和で「斎宮と壬申の乱」シンポ 書紀記述に着目し議論

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久留倍官衙なぜ東向き 明和で「斎宮と壬申の乱」シンポ 書紀記述に着目し議論

 明和町の斎宮(さいくう)跡(国史跡)と四日市市の久留倍官衙(くるべかんが)遺跡(同)の両古代遺跡の関係をテーマにしたシンポジウム「斎宮と壬申の乱」が3日、明和町のさいくう平安の杜・西脇殿で開催された。古代の役所のほとんどが南を向くなか、久留倍官衙の建物群が東を向く謎について、踏み込んだ議論がなされた。

 久留倍官衙遺跡は四日市市大矢知町の伊勢湾を望む丘陵上にあり、奈良時代を中心とする多数の掘立柱建物跡が発見されている。古代伊勢国の役所「朝明(あさけ)郡衙説」や東海道に面する施設「朝明駅家(うまや)説」がある。

 シンポジウムでは四日市市教委社会教育課の堀越光信氏が、大海人(おおあま)皇子と(天武天皇)と大友皇子が皇位継承をめぐって争った壬申(じんしん)の乱(672年)で、大海人皇子が朝明郡で太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を望拝したことが日本書紀に記されていることに着目。役所が東を向くのは、地元氏族の船木氏が壬申の乱後、天武天皇に味方したことを示すため天照大神を拝んだことに由来すると推察した。

 一方、斎宮歴史博物館の大川勝宏氏は、天武天皇死後の702年に妻の持統天皇が伊勢国などを行幸した際、夫と同様に天照大神を望拝したのが東向きの久留倍官衙遺跡と推察した。また、大川氏は「斎宮を通る古代伊勢道は持統天皇の行幸が整備の契機だった可能性がある」とし、斎宮と久留倍官衙を結ぶ古代道路の存在を提起した。

 シンポジウムは約120人が聴講。奈良大学の上野誠教授が「万葉集と壬申の乱」をテーマに講演。明和町斎宮跡・文化観光課の乾哲也氏が「斎宮前夜の明和町」と題して最近の考古学成果を報告した。