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歌枕「末の松山」 震災時、避難者の命つなぐ 多賀城2寺院、5町内会と協定

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歌枕「末の松山」 震災時、避難者の命つなぐ 多賀城2寺院、5町内会と協定

 三十六歌仙の一人、清原元輔が詠んだ和歌で、「契りきな かたみに袖をしぼりつつ すゑの松山 波こさじとは」と歌われた「末の松山」。その周辺にある不●寺、宝国寺の2つの寺院が、多賀城市八幡地区の5つの町内会と災害時の施設利用に関する協定を結んだ。津波などの被害があった際、両寺院は緊急的な避難所となることが期待されている。(林修太郎)

 多賀城市では震災の津波で市内の3分の1が浸水。188人が犠牲になった。末の松山は同市の八幡地区にある丘あたりを指すという説が有力で、東日本大震災でも津波から逃れた住民が2つの寺に身を寄せ、命をつないだ。

 「~末の松山」は「涙で濡れた袖をしぼりながら互いに約束しましたね 波が末の松山を決して越えないように、心変わりはしないと」という趣旨の悲恋の歌だ。「決してないこと」のたとえとして、「末の松山に津波が到達すること」が使われている。

 平安時代の貞観地震(869年)でも津波が押し寄せ、1千人が犠牲になったという記録が残っており、「波こさじ」の波は貞観地震による津波ではないかとする見方もある。また、市内には「こさじ」という名の女性が末の松山に登って大津波から逃れたという伝承も残っている。

 震災時には、両寺院に計約250人が避難した。宝国寺の加藤秀幸住職(64)は「長い人は1カ月くらい。裸足で逃げ込んだ人もいた」と証言する。

 震災時に末の松山に避難した、八幡地区で商店を営む鈴木進さん(70)は「『末の松山』まで波は来ないという言い伝えがあったから逃げた」。妻の節子さん(68)は「もし末の松山がなかったら、被害は拡大していたかもしれない」と話した。

●=石へんに隣のつくり