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天誅組志士・橋本若狭が伝授した柔術免許皆伝状発見 大阪の記念館館長が入手

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天誅組志士・橋本若狭が伝授した柔術免許皆伝状発見 大阪の記念館館長が入手

 幕末に尊皇攘夷(じょうい)を掲げ、倒幕運動の先駆けとなった天誅(てんちゅう)組の志士で、丹生川上神社下社(下市町)の神職を務めた橋本若狭(1822~65年)が柔術の弟子に与えた免許皆伝状が見つかった。入手した「天誅(忠)組記念館」(大阪府藤井寺市)の草村克彦館長(61)は「橋本若狭の具体的な人物像がわかる史料」と話している。

 天誅組は、江戸幕府を倒して新しい日本を創るさきがけになろうと、各地から集まった尊皇攘夷派の志士らで構成。文久3(1863)年に隊士約60人が五條代官所(五條市)に討ち入り、五條御政府を打ち立てた。だが、わずか1日で朝廷、幕府から朝敵として討伐に乗り出され、約40日後に現在の東吉野村で多くの隊士が戦死、壊滅した。若狭も参加したこの事件は、初の反幕府武装蜂起「天誅組の変」と呼ばれている。

 大和下市史などによると、橋本若狭は現在の五條市で生まれ、後に丹生川上神社下社の神職となった。柔術に優れ、流派「二葉天明(ふたばてんめい)流」を創始。神社近くに練武場を設けていたという。

 新たに見つかった史料は長さ3・42メートル、幅19センチの巻物で、草村館長が大阪市内の古物商から入手。大淀町教委の松田度学芸員らが調査したところ、残されている短冊の筆跡と似ていることから、若狭が書いた免許皆伝状と分かったという。

 免許皆伝状は笠井直蔵という弟子に与えたもので、「二葉天明流柔術 免許」の書き出しで始まる。柔術の心得や技の名、若狭の実名「綱幸」が記されているほか、花押もあり、安政6(1859)年11月11日と日付が書かれている。

 草村館長は「二葉天明流が実際にあった柔術の一流派で、橋本若狭が弟子を教えていた事実が具体的に分かった」とした上で、「弟子がつくような人望があった若狭の魅力も感じられる」と話している。