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興福寺旧境内の瓦窯跡3基保存へ 築造年代さらに古くなる可能性

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興福寺旧境内の瓦窯跡3基保存へ 築造年代さらに古くなる可能性

 県教委は、奈良市登大路町の興福寺旧境内で見つかった瓦窯(がよう)跡9基のうち、最も古いとみられる3基を保存する方針を固めた。当初は調査終了後、遺構を解体する「記録保存」にとどめる予定だったが、橿原考古学研究所が発掘調査した結果、平安時代末期とみられる窯跡の創建時期がさらに古くなる可能性が判明。学術的に遺構の重要性が高まったとして、方針を転換した。早ければ今月中にも埋め戻される見通し。

 9基はいずれも平窯(ひらがま)で、焚(た)き口を南に向け、東西方向に3列に並んで見つかった。石や不要な瓦でつくられ、1基の大きさは全長約3・5メートル、幅約2メートル、高さは推定約1メートル。最も南側にある4基は平安時代末期に同時操業していたとみられ、治承4(1181)年の平氏による南都焼き討ち後、同寺の復興のための瓦を焼いた可能性が高い。

 県教委が保存する方針を固めた3基を中心とする遺構群は、興福寺創建後、最初の大火となった永承(えいしょう)元(1046)年の火災からの再建について綴った「造興福寺記」(重文)の記録に関連する可能性が浮上。3基の築造時期は平安時代末期からさらに遡るとみられるという。

 県教委によると、出土した土器などを今後詳しく分析し、窯跡の詳細な時期を検討する一方で、遺構の価値付けの作業を進める。保存する窯跡の活用方法は現時点では未定という。

 現場は県婦人会館・県消費生活センター跡地。昨年3月に始まった橿考研による発掘調査は今月まで続く予定で、終了後に3基の窯跡は埋め戻される。

 興福寺の歴史に詳しい同寺境内管理室の藪中五百樹室員(歴史考古学)は、見つかった窯跡について、永承の大火からの復興に使用された同寺関連の瓦窯2基のうちの1基と指摘。「これまで不明だった場所が今回の発見で分かった。窯跡は150年近く存続した可能性があり、興福寺の歴史を伝える貴重な資料だ」と保存を要望していた。