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【年の瀬記者ノート】山形発 草木塔から見える県民性 自然に感謝、あふれる優しさ

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【年の瀬記者ノート】
山形発 草木塔から見える県民性 自然に感謝、あふれる優しさ

 今年10月、東北中央自動車道の山形県米沢市と福島市を結ぶ栗子トンネルの入口近くに一つの石碑が建った。石碑の中央部には「草木塔」と彫られている。聞き慣れない名の石碑を建立した万世大路(ばんせいたいろ)保存会会長の梅津幸保置賜民俗学会会長(73)は「高速道路の建設工事で山の木をたくさん伐採しましたから」と建立理由を説明する。建設工事で大量に伐採された草木を弔うために石碑を建立したのだという。(柏崎幸三)

 草木塔、あるいは草木供養塔という石碑は山形県の置賜地方に多くみられる。梅津さんによると、国内外で210基の草木塔が確認されていて、その8割以上が山形県に存在する。

 置賜地方に多く存在する草木塔の起源は江戸時代とされ、江戸時代建立と確認されたものだけで32基。最古は、米沢市入田沢塩地平の草木塔で、安永9(1780)年、米沢藩の上杉鷹山時代の建立で「草木供養塔」と刻まれている。

 だが草木塔の起源はさらに遡る。数カ国を支配した上杉景勝は関ケ原の戦いに敗れ、出羽国米沢30万石に減移封された。大勢の武士が米沢に移住したが生活に必須な薪が大量に不足。家老の直江兼続は、木の伐採を奨励し、米沢を流れる鬼面川(おものがわ)に帯刀堰を作り、山奥の伐採地から米沢城内まで川を使って流した。これを担ったのが「木流し衆」といわれた山の民で、川に流した木が本流から外れれば、川に飛び込んで本流に戻す仕事を業とした。木流しは全国的に行われたが、草木塔はなぜか山形県に多く残されている。

 岩手、福島両県に1基ずつある江戸時代の草木塔には建立者の個人名が彫られているが、山形の草木塔は地名や集落など集団名が刻まれている。米沢藩の古文書にも草木塔の記述はなく、藩主が関わったとは考えにくい。

 梅津さんはこう推論する。「木流しの仕事は共同で行う。彼らは命あるもの(草木)の命を断って薪や炭をつくる。まさに山(自然)の恵みをいただき、草木に生かされた人。その草木への感謝の気持ちを共同で表したのでしょう」

 草木塔建立を山の修験者である僧侶や山伏が村人に勧めたとみるのは宗教研究者の千歳栄さん(90)。米沢市口田沢大明神沢の草木塔には「溝中口田沢村」とあり、修験者の影響で建立が始まったという。

 「人間は自然の恵みなくしては生きていけない。草木塔は草木の恵みへの感謝と神秘への畏怖で、自然物に精霊が宿るというアニミズムと、精霊が人間にたたるマナイズムが潜んでおり、自然への強い畏敬心が建立させたのだと思う」と千歳さんは話す。

 山形県に草木塔が多い理由。千歳さんは哲学者の梅原猛氏の分析を著書で紹介している。「草木塔は日本仏教の『草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)』という思想を具現化したものだ。日本には草や木に生きた神を見る思想があり、山形に草木塔が多いのも、一木一草の中に神性を見る土着思想が強く残っていたからだろう」と。

 ただ、昭和初期までいた木流し衆は電気やガスの普及でいなくなり、草木塔を建立する人も絶えた。だが、梅津さんは「平成以降、100基以上の草木塔が建立され、京都の三千院、奈良県明日香村、遠くは南米パラグアイにもある。いまや自然環境保護のシンボルになっています」。

 草や木という自然の恵みに感謝し、神をみる山形の土着思想。人間だけを高位に置かず、草木をはじめ生きるものすべてを同列にみる考えがあるように思う。それが、脈々と、人を思いやる優しい山形の県民性につながっている気がしてならない。

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 ◆草木塔(草木供養塔)

 山形県内で多数確認される石碑。草木にも霊魂が宿り、草木から得られる恩恵に感謝し、切り倒した草木の魂を供養する心が建立させたみられている。最近では東京庭職組合が都内の寺院に建立したほか、南米などで建立された例もある。