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地域文化功労者・下関舞踊協会顧問の花柳佳寿広氏「日本舞踊を教育の場に」

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地域文化功労者・下関舞踊協会顧問の花柳佳寿広氏「日本舞踊を教育の場に」

「日本舞踊を学校教育に取り入れたい」と語る花柳佳寿広氏 「日本舞踊を学校教育に取り入れたい」と語る花柳佳寿広氏

 地域の芸術・文化の振興に尽くした人や団体を文部科学相が表彰する平成29年度の地域文化功労者の一人に、山口県の下関舞踊協会顧問、花柳佳寿広(はなやぎかずひろ)氏(83)が選ばれた。「日本舞踊の道に導いてくれた泉下の母に、真っ先に報告したい」と喜びを語った。

 佳寿広氏は現在の山口県周南市に生まれた。5人きょうだいの4女だった。日本舞踊は、6歳から習い始めた。

 「舞踊を少しやっていた母から『あなたは踊りに向いている』と言われた。稽古を休んだことはなく、朝起きたら鏡の前で動きを確認する。そんな毎日でした。やがて、ほうきを持ったら、勝手に体が動くようになった」

 家族は娯楽やレジャーを我慢し、佳寿広氏を支えたという。

 昭和30年、21歳で「名取」となり、花柳佳寿広を名乗るようになった。本名の「中山佳子」、家元の「寿輔」から、母が名付けてくれたという。24歳で下関に嫁ぎ、教室を開いた。

 当初2人だった弟子は、いつしか50人を超えるまでになった。午前9時に稽古を始め、帰宅は午後11時過ぎ、という生活が当たり前になった。寝る間も惜しみ、踊りに打ち込んだ。

 「体はきつくても、辞めたいと思ったことはない。人間関係などの悩みも、逆に、踊りに向かう原動力にしてきた」

 夫は外航タンカーの乗組員で、自宅を空けることが多かった。

 佳寿広氏は4年に1度、下関市民会館の大ホールを借り、弟子と踊りを披露するイベントを開いた。夫はこのときだけは必ず帰国し、見学したという。

 佳寿広氏が35歳のとき、自宅の新築にあわせて、稽古場を設けてくれた。

 「弟子は子供同然です。今では孫弟子もたくさんいる」

 下関舞踊協会は50年前から、赤間神宮の先帝祭に協力している。協会のメンバーが太夫として、「外八文字」と呼ばれる優雅な足さばきを披露しながら、市内を練り歩く。佳寿広氏は毎回欠かさず、介添えをする。

 今回の受賞では、こうした地域への貢献も評価された。

 これまでに日本舞踊協会山口県支部長や、下関舞踊協会会長を務めた。支部長時代の平成26年に、全国で初めて子供向けの講習会を開催した。

 子供が親しみやすいよう、「ふるさと」や「赤とんぼ」など唱歌に合わせた振り付けも考案した。こうした活動には、今後も取り組むという。

 「このままだと日本舞踊は廃れてしまう。教育の場に取り入れ、少しでも底上げをしたい。日本の伝統文化や歴史に誇りを持つことは、必ず、子供の健やかな成長につながる」と意気込む。

 授賞式は11月22日、東京であり、林芳正文科相から賞状を受け取った。

  (大森貴弘)