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【突破力】丸美屋(本社・熊本県和水町) 商品にストーリー性を

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【突破力】
丸美屋(本社・熊本県和水町) 商品にストーリー性を

 日本人のソウルフードの一つとして、納豆は外せない。全国に数多くの納豆メーカーがある中で、九州を代表する「お城納豆」を生産する。昭和31年の創業から61年。その歩みは、創意工夫とともにある。

 最初の商品は、ふりかけだった。

 丸美屋初代社長の上村(うえむら)亀雄の伯父が、「のりたま」で知られるふりかけ最大手「丸美屋食品工業」(東京)の創業者、甲斐清一郎だった。

 亀雄は昭和31年、熊本の地で、ふりかけ「是はうまい」の営業を継承した。

 ただ、商品一種類では成長に限界がある。亀雄の次男で、実質的に経営を仕切っていた弥継(後に3代目社長)が、納豆製造を提案した。

 実は亀雄は納豆が苦手だった。それでも社業を考え、さらに「納豆をもっと食べやすい商品にしよう」と製造に踏み切った。

 納豆は、大豆を稲わらに包み、発酵させて作る。熊本は古くから稲作が盛んだった。納豆は寒い方が貯蔵しやすい。熊本は九州の中では寒さが厳しい。こうした条件が納豆製造に向いていた。

 ただ、商品として広く流通させるには、安定した生産が欠かせない。丸美屋は生産の機械化を進めた。

 そして昭和35年、ロングセラーとなる「お城納豆」が誕生した。

 天然木の薄い板で納豆をくるんだ。ご飯に乗せる際に、納豆が手に付かないようにとの工夫だった。コンブエキスを入れた調味料を付けた。

 また、偶然ではあったが、お城納豆はこれまでの商品に比べ、特有の香りが薄かった。これがかえって、人気となった。

 お城納豆は、看板商品になった。弥継は豆腐にも手を伸ばした。

 全国の豆腐店を視察し、昭和42年、チューブ式の「トントンとうふ」を生み出した。ソーセージのように、豆腐を袋に注入させる機械を使った。こちらもヒットした。

 当時、納豆や豆腐で、商品名を付けるのは珍しかった。この2枚看板で、丸美屋は成長した。

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 今も商品開発に精力的に取り組む。

 今年3月、新商品「お城納豆 ひきわり極小」を発売した。大豆をより細かく刻むことで、山芋のようにとろとろした食感で、糸がぱっと切れる納豆を完成させた。離乳食や介護食品での市場拡大を目指す。

 日本のソウルフードは、海外にも進出する。

 丸美屋は平成14年、中国・大連市で納豆生産を始めた。大きな苦労があったが、進出から10年ほどたったころ、現地での売上高は年間1億円に届いた。

 管理本部の米沢健志本部長(58)は、24年から2年半、大連工場長を務めた。

 「大連では、納豆文化の宣伝部長の意気込みだった。一人でも多くの消費者に、お城納豆のおいしさを届けたいとの一心だった。今は現地採用の社員25人で生産できるまでになった」と話した。

 中国での納豆シェアは、他社を抑え1位になった。

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 看板商品の「お城」とは当然、熊本城だ。

 お城納豆が誕生した昭和35年、熊本城天守閣が焼失から83年ぶりに再建された。

 お城は昨年、熊本地震で、甚大な被害を受けた。丸美屋にとって、見過ごすことはできない。

 熊本城のイラストを描いた発売当時の「お城納豆マミ」のパッケージを復刻し、1個当たり10円を寄付することにした。「納豆を食べて城の復興にチカラを与えよう」を合言葉に、初年度だけで400万円を集めた。

 5代目となる東健社長(66)は「熊本城があってこそ、丸美屋がある。復旧へ今後も支援を続ける。さらに、味など付加価値にこだわり、ストーリーを描ける商品で、世界に打って出る」と語った。

 「世界に冠たる100年企業」。東氏は高い目標を掲げる。(村上智博)