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【夢を追う】整形外科医・池本和人さん 「若者の教育のために」診療所を丸ごと寄付

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【夢を追う】
整形外科医・池本和人さん 「若者の教育のために」診療所を丸ごと寄付

 山口県萩市の整形外科医、池本和人さん(76)は教育者や篤志家、“外交官”など、さまざま顔を持ち、長く地域に貢献してきた。一昨年、「これから育つ若者のために」と診療所を閉鎖し、丸ごと市に寄付した。閉院後も患者に請われて、診察を続ける。「病気でなく人間をみる。医師として今が一番楽しい」と語る毎日だ。

 《今年3月、元診療所を改装し、萩市高校生女子寮がオープンした》

 大学卒業後、各地の病院で研鑽(けんさん)を積み、昭和57年4月、故郷の萩で診療所「池本整形外科医院」を開院しました。

 それから30年以上。治療で一睡もできない日々など、つらかったことも多かったのですが、それなりに楽しい生活でした。

 娘が3人います。皆、米国や九州など地元を離れており、跡継ぎはいません。

 「いずれは診療所を閉めないと」。こう考えているときに、市が学生寮を探していると聞きました。離島から高校に通う女子生徒向けの寮が、必要だったのです。

 何かの用で市役所に行き、当時の野村興児市長と立ち話をしました。

 「寮の場所を探しているけれど、立地と予算など条件に合う良いところがない」

 こう嘆く市長に、すぐに言ったんです。「診療所を寄付しましょうか?」

 冗談だと思ったのでしょう。「じゃあ、くれるか?」なんて、軽口を叩(たた)かれました。

 私は、半分本気でした。診療所はJRの駅前にあり、どの高校に通うにも立地は申し分ない。

 その晩、家に帰って妻=純子さん(69)=に相談したら「悩むことない。必要なら、役立ててもらえば良いじゃない」と、背中を押されました。女房は、思いきりの良いやつなんですよ。

 1週間くらい後でしょうか。野村市長から電話がありました。

 「あの話は本当か」って言うから「何を言ってるんだい。嘘はつかないよ!」と返してやった。すぐに市の担当者が飛んできて、寄付の手続きを進めました。

 そこから閉院までは1~2カ月だったと思います。

 《学生寮には、自身の思い入れもあった》

 私は(山口県立)萩高校に通いました。自宅から汽車で1時間かけて、通学しました。田舎ですから、都会のように汽車は何本も来ません。寒い日も暑い日も、汽車を待ちながら本を読んでいました。

 「受験戦争」という言葉がぴったりの時代でした。「往復2時間の通学時間を勉強に充てられたら」と何度も考えました。学校から近い場所に寮がほしいとも、思ったものです。

 整形外科医になりたくて、九州大医学部を受験しましたが、ダメでした。1浪して鳥取大に入りました。今は良かったと思っていますが、学生寮があれば、九大に合格していたかもしれませんね(笑い)。

 教育において「機会の平等」は徹底すべきです。自分の努力以外の部分、例えば通学時間などの教育環境は、周囲の大人が率先して整えるべきでしょう。

 そんな経験や思いもあり、決断しました。平成27年8月に閉院し、土地と建物を市に寄付しました。

 土地は550坪(約1815平方メートル)、建物は鉄筋コンクリート2階建てです。築30年以上ですが、耐震構造で建てたので、まだまだ使えます。

 市は1億5千万円かけて内装工事をし、今年の3月にオープンしました。2階は離島の高校生の寮となりました。エアコンや机、ベッドを備え、食事も提供されます。1階は不登校の生徒に対応する「萩輝きスクール」が入りました。

 自宅が隣にあり、生徒とはよく話をします。素直なものですよ。夜遅くなっても、窓から明かりが漏れている。きっと勉強しているんだろうな…。高校時代を思い出して、胸が温かくなりました。

 《患者や職員にとっては、急な閉院だった》

 診療所の最終日27年8月31日は月曜日です。その直前の土曜日ですが、お別れに地域の住民や患者さんら100人以上が集まってくれた。娘3人孫3人も駆けつけた。

 案外、からっとした気分でした。湿っぽい気持ちは全然なかった。

 診療所では看護師6人と事務員3人が働いていました。全員の再就職先も世話できたので、すっきりとした気持ちになったのかもしれません。

 私は自身の葬儀はしないと決めています。周囲に迷惑をかけたくないからです。「閉院が自分の葬儀だ。こういう明るい終わり方も良いか」。そう考えました。

 それでも、看護師に「先生ともう少し一緒に仕事をしたかったです」と泣きながら言われたときは、少しホロリとしました。

 患者さんから手紙もいただきました。昭和50年ごろ、別の病院にいたころに手術をして、それからずっと定期的に診察している方です。言葉にすると涙が出て何も言えなくなるから、手紙にしたそうです。

 手紙には、感謝の言葉と一緒に「先生に辞められたら、行き場がなくなってしまう」とも書いてありました。同じようなことは、別の患者さんにも言われました。

 医者冥利に尽きると思う一方、「無責任だったかな」とも思いました。

 ところが、ありがたいことに複数の病院から、応援依頼をいただいた。

 患者さんを路頭に迷わせずにすむ-。元の診療所から最も近い「全真会病院」で働くことにしました。閉院から2週間後、9月14日から「勤務医」として、診療を再開しました。木曜午後を除き、ほぼフルタイムで診察しています。

 個人でやっていた診療所と違い、診察だけに集中できるので、以前よりゆっくり丁寧に診られます。私自身も年老いる中、「腰が痛い」と訴える患者さんには、「私も痛いから分かるよ」と話を聞いて、一緒にリハビリすることもできる。

 専門書を読んだり、講演を聞いたりする時間も取れます。自身の医療技術も磨ける。医者として、今が最も楽しい時期かもしれません。