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【夢を追う】博多人形師・田中勇気さん(2)ゲーム少年、職人を志す

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【夢を追う】
博多人形師・田中勇気さん(2)ゲーム少年、職人を志す

工房で博多人形づくりを指導する田中勇気さん。原点である人形作りの面白さを伝える 工房で博多人形づくりを指導する田中勇気さん。原点である人形作りの面白さを伝える

 《幼少期に両親が離婚し、母(58)と、2歳年上の姉の3人で、伯母のいる愛知県豊田市に引っ越した》

 生まれた佐賀市にいたのは5歳までです。住んでいた家や幼稚園の先生など、断片的な記憶しかありません。小学校からサッカーと剣道を始め、中学から剣道一本に絞りました。段位は3段で、中学時代は市内大会でメダルを取ったこともあります。剣道は運動神経はいらない。やればやるほど上達し、結果が出るのが楽しかった。

 《ゲームに熱中した世代でもある》

 近所の友達と駐車場とかで走り回って遊び、家に帰ったらテレビゲームです。夏休み中、家にいると母から「ゲームばかりして」と怒られるので、友人宅を転々としながら遊んでいました。どこにでもいる普通の少年でした。

 《好きな科目は図工や美術。人形作りにつながる片鱗(へんりん)はあった》

 図工といっても、絵を描くより工作、物をちまちま作ることが好きでした。古いリモコンで置物を作ったり、ゴルフクラブにいろいろな物を取り付けて“武器”を作ったりして楽しんでいました。

 中学のとき、先生から日本のさまざまな職人に関する本をもらいました。ものづくりをする職人に興味を持つようになりました。

 《地元の豊田市立豊田工業高校自動車科に進んだ。トヨタ自動車の企業城下町とあって、同科の生徒の3割は、自動車整備士の資格を取得する》

 手を動かすより、頭で考えなくてはいけない授業が多かった。それが苦手で、あまり授業に身も入りませんでした。剣道部にも入りましたが、強豪校でもありません。練習もハードではありませんでした。部室でたむろしたり、水泳部の友人とプールで遊んだりした。

 高校2年のあるとき、「高校を辞めたい」と言い出した友人の相談を受けたんです。それをきっかけに、「本当は何をしたいんだろう?」と自分自身と向き合うようになりました。中学の時に先生にもらった本を思い出し、休みのたびにその本を頼りに、その職人がいる場所や名産品を調べました。

 《工場で統一規格の物を作るより、その人でなくてはできない物を作る職人への憧れは強まった》

 自分の腕一つで物を作り上げる。そんな職人の道を行きたいと志したのです。思いついたのが博多人形の存在でした。子供の頃から大好きだった相撲が影響したかもしれません。

 有名な伝統工芸だけど、どんなものだろうか。夏休みを利用して佐賀の祖父母の家へ行き、電話帳で「博多人形師」を調べて連絡を取ってみました。

 《その後師匠となる博多人形師の梶原正二さんと出会う》

 最初に目に留まったのが梶原先生の工房でした。今思えば、運命だったのかもしれません。連絡をすると、工房を見学しても良いとのこと。先生の作品を最初に目にしたときのことは、今でもはっきりと覚えています。

 工房にあるギャラリーの奥に、荒々しい劉備(中国・三国時代の武将)と、美しい菩薩の博多人形が並んでいた。本当に衝撃でした。これまで見てきた作品と、スケールがまったく違い、作品の前に立ちすくんでしまった。

 梶原先生につけば、私もこんな人形を作れるようになるんだろうか?。いや、私もこんな人形を作る人形師になりたい。そう思ったんです。「師匠はこの人しかいない」と心に決めた。

 《その後も、幾度となく梶原さんの工房を訪れ、弟子入りを懇願。高校卒業を機に入門が認められた》

 初訪問のとき、簡単な型押しの作業をやらせてもらったのですが、とても面白かった。この時の思いを決して忘れないようにしています。人形作りの僕の原点です。

 ただ、母は心配していたようです。安定した会社へ就職するとばかり思っていましたから。といっても、聞く私ではないのです。