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【静岡古城をゆく 直虎動乱の渦】頭蛇寺城(浜松市) 虎松「養育の地」松下氏屋敷

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【静岡古城をゆく 直虎動乱の渦】
頭蛇寺城(浜松市) 虎松「養育の地」松下氏屋敷

 ■虎松「養育の地」松下氏屋敷

 虎松(後の直政)が2歳の時、父・直親は今川氏から謀反の疑いを掛けられ誅殺(ちゅうさつ)された。このとき虎松も命を狙われたが新野左馬助親矩の助命嘆願により助かり、左馬助の手で養育された。しかし、遠州●劇(そうげき)での引馬城(浜松市中区)攻めで、左馬助と重臣の中野信濃守直由が戦死。再び命の危険にさらされた虎松は、龍潭寺の南渓和尚の計らいで鳳来寺(愛知県新城)に預けられた。

 徳川家康の遠江侵攻は永禄11(1568)年12月。遠江をほぼ支配した天正2(1574)年、虎松は父・直親十三回忌法要のため井伊谷に戻ったとされる。だが、井伊家は崩壊していたため、次郎法師に戻った直虎と母、祐椿が相談し、松下源太郎清景と再婚した虎松の母のもと頭陀寺(ずだじ)城(浜松市南区)に養子に出すことを決めた。南渓和尚の関与もあったとみるが、虎松の武士としての教養を高めるためでもあり、この時は「松下虎松」と称したと『井伊家伝記』は記す。

 頭陀寺城の松下氏は、今川氏に仕え引馬城の飯尾氏の寄子(下級家臣)であったが。今川義元時代の当主は松下加兵衛之綱で、少年時代の豊臣秀吉が天文20(1551)年から約3年奉公していた。「鎌研池」「目刺橋」など秀吉に関わる伝承地もある。松下氏は秀吉時代に大名に取り立てられ、久野城主(袋井市)になっている。

 頭陀寺は大宝3(703)年の創建の古刹(こさつ)。貞観5(863)年には清和天皇により権力者が介入できない不入特権(治外法権)の定額寺に指定されている。戦国時代にかけ境内の一部が城郭化し、頭陀寺城(松下氏屋敷)になったとみられる。

 松下氏屋敷は平成13年と27年に発掘調査が行われ、土塁や堀、礎石建物・庭園など豊富な遺物が出土された。規模は100メートル四方で、地下80センチからは遠州●劇で今川氏から攻められ“焼失した証し”となる焼土も出た。また最近では、出世した秀吉や直政の「養育の地」として知られている。(静岡古城研究会会長 水野茂)

●=公の下に心