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【静岡古城をゆく 直虎動乱の渦】一門の男子、虎松のみに 

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【静岡古城をゆく 直虎動乱の渦】
一門の男子、虎松のみに 

引馬城跡の東照宮=浜松市中区元城町 引馬城跡の東照宮=浜松市中区元城町

 ■遠州●劇と井伊氏

 永禄4(1561)年から始まる松平元康(後の徳川家康)の東三河侵攻に際して、今川軍の拠点的な田原城(田原市)や上之郷城(蒲郡市)、牛久保城(豊川市)が攻められ、今川方は劣勢に立たされていた。加えて、当該土豪・国衆らも元康に内応し、「三州錯乱」状態になった。

 その錯乱は遠江国にも飛び火した。永禄6年、遠江の有力家臣である二俣城の松井宗恒や犬居城(浜松市天竜区)の天野景泰、さらに今川一門である遠江今川氏(袋井市)の堀越氏延までもが元康側に加担した。

 氏延は武田氏とくみして、今川領の東西から攻めようと兵を進めた。兵の分散を余儀なくされた今川氏は「兵を派遣して滅亡させた」と、『今川家譜』に記してある。これを「遠州●劇(そうげき)」と呼んでいるが、西遠の混乱状態の最大の激戦が今川氏の有力家臣・飯尾連龍がいる引馬城(浜松市中区)攻めである。

 今川氏真から引馬城攻めを真っ先に言い渡されたのが、井伊氏と掛川城の朝比奈泰朝である。永禄6年12月、長上飯田郷(浜松市南区)で合戦が展開された。飯尾は善戦し城を守っていたが、同城東の天間橋の戦いでは、井伊軍を率いた新野左馬助親矩と家老の中野信濃守直由が壮烈な戦死を遂げた。翌永禄7年9月のことであった。

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