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【伊奈かっぺい綴り方教室 言葉の贅肉】薬に付ける 馬鹿に付ける

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【伊奈かっぺい綴り方教室 言葉の贅肉】
薬に付ける 馬鹿に付ける

 一酸化炭素に二酸化炭素を加えると“三酸化炭素”になると発表して笑われたのか叱られたのか…あれはいつ頃のことだったのかも忘れた。

 あたり前のことだが、一酸化炭素に二酸化炭素を加えると何がどうなるのか、今もちっともわかっていない。わかったところで何か得するわけでもないだろうと思えば、わかろうともしないし。

 同じ頃だったと思う。

 50度の湯に、50度の湯を足せば100度になって沸騰するはずだ。正しい科学や化学は正しい分だけ楽しくない。楽しい算数の考え方のほうが面白い、などと遊んでいたものだ。

 公園のベンチの両端に離れて座った男と女がいて「半分だけそっちに寄っていいですか」と男。「ええ…」と女。常に半分だけしか近寄らないとすると数字的には決して2人は寄り添えない、なんて話も大好きだった。

 馬鹿は死ななきゃ治らない。死んだら治るとは誰が発見したのだろう。

 馬鹿に付ける薬は無い。実はあるのだ。転んでチョット膝を擦りむいただけなのにバケツ3杯分ほどの量を塗らなきゃならない薬。こんな薬が“馬鹿に付ける薬”だ。

 痛み止めの薬を飲むときは必ず薬そのものに声をかけるようにしている「オレが今痛いのは歯だ。奥歯だ。奥歯の痛みを除去するためにお前を飲むのだ。間違っても“頭痛”とか“生理痛”に働きかけないで欲しい。うっかり作用先をまちがえて奥歯まで気がまわらなかったとしたら、オレは何のためにお前を飲んだことになるのだ」。

 この薬の効能書きには確かに「頭痛・歯痛・生理痛」とある。

 そもそも“痛み”とはなんなのだ。生理痛の経験はいち度もないが頭と歯なら何度も痛みに苦しんだ。頭の痛みと歯の痛みは明らかに痛みの主旨、趣き、形態、種類が違う。違うと思う。

 水などと一緒に運ばれた“痛み止め”の薬はとりあえず悩むのだろうか。「ご主人様はどこが痛くてオレを飲んだのだろうか、どこの痛みを消してほしくてオレを飲んだのだろうか」などと。

 痛み止めの薬を飲んだのにチットモ効いたふうがない。いつまでも痛い。もしかしたら痛み止めの薬の勘違いとか誤解が元で。てっきり頭痛に違いないとの思い込みで歯痛と生理痛まで気が届かずに…考えられなくもない場合だってないとは言えないだろう。

 たいていの痛み止め薬の効能書きには「頭痛・歯痛・生理痛」とある。その種の薬にとっての“痛み”とはみな同じなのだろうか。何度も思う。痛むほうの人間にとってはまったく違う痛みだがなぁ。

 だから自分の場合、痛み止めの薬を飲むときは必ず“行き先”を指示するのだ。その薬に聞く耳があるのかどうかは別にして。

 食パンを喰うとき、いちいち「オレは腹が減っているのだからね」とは言わなくても食パンは空腹を満たしてくれる。食パンが向かうのはとりあえず胃袋へまっすぐ。行き先はひとつ。悩む要素はない。食パンの場合、特にミミは必要ないな、と思い到ってニヤリ。

 偏頭痛、片頭痛。とりあえず片ッポだけで良かったね、と思ってみる。

 骨身にこたえる。と言うことは、あらかじめ骨身から何かしらの質問があったのですね。