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【自慢させろ! わが高校】熊本県立済々黌高校(上)

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【自慢させろ! わが高校】
熊本県立済々黌高校(上)

済々黌高校の管理棟にはキナセンが施されている 済々黌高校の管理棟にはキナセンが施されている

 ■部活に全力“4年制高校” キナセン身に着けた多士済々

 プレーに、応援に、甲子園で高校生が汗を流している。

 今から59年前。昭和33年春のセンバツで、全国優勝を果たした。熊本県勢で甲子園を制したのは、春夏合わせてこの1回だけだ。熊本の野球史に残る偉業だといえる。

 優勝した年を含め、野球部は春4回、夏7回甲子園に出た。グラウンドのネット裏に、甲子園の出場選手一覧を刻んだ碑が立つ。プロ野球、広島東洋カープの監督だった古葉竹識(たけし)さん(81)=昭和30年卒=の名もある。

 カープの黄金期を築いた古葉さんは昭和28年春、三塁手として甲子園に出場した。

 練習は厳しかった。ノックでボールを取り損ねると、「お前ら、並べ」と先輩から声が掛かる。マウンドの辺りに立たされ、猛烈な打球を浴びたという。

 それでも「厳しいのは試合に勝つため。先輩と甲子園でプレーでき、幸せでした。今は感謝の言葉しかありません」と懐かしむ。

 古葉さんの年はベスト8までだった。5年後の春、ついに紫紺の優勝旗をつかみ取った。

 後輩の活躍に古葉さんは「無欲で、耐えて勝つのが済々黌の野球です。勝利へできることを徹底したのが良かった」と語った。

 全国制覇を記念し、ネット裏に建てられた石碑には、「無欲の勝利」と刻まれている。

 その時、主将だった末次義久さんは後に母校の監督となった。昭和54年の夏、チームを甲子園に導いた。

                 ■ ■ ■

 済々黌は明治12年の創立だ。熊本最古の高校であり、県内では当たり前に「せいせいこう」と読む。「黌」は学校を意味する。校名は、儒教の五経の一つ「詩経」の一節「済済たる多士」から取った。

 地元で活躍するタレントの大田黒浩一さん(59)=昭和51年卒=は、入学直後の出来事が忘れられない。

 初めての全校集会だった。校長(黌長(こうちょう))のあいさつの途中、ある生徒から「校長先生、えらく汗をかいて、暑かとでしょ?」と声が飛んだ。

 壇上の校長は怒るどころか、「暑うして、のさんけん(たまらん)」と笑顔で応じた。

 生徒は「なら先生、手ぬぐいば、あげまっしょか」という。校長は「持っとるけん、そぎゃん心配はせんでよか」と答えたのだ。生徒も教諭も大爆笑。場が一気に和んだという。

 「思ったことはどんどん言うし、それが許される。そんな学校なんだ」。大田黒さんは、寛容な校風を肌で感じ、好きになった。

 だが、すべてが寛容だったわけではない。大田黒さんは応援団に所属した。

 校舎から何キロも離れた高台で、演舞を練習した。校舎の屋上から先輩が見つめる。声は届くはずもない。それでも先輩が両手で丸をつくって「合格」を出すまで、練習は終わらない。連日繰り返された。

 野球部の試合で、団員は重さ30キロもある旗を振る。

 試合に負けると、大変だった。団長が「お前らの気合が足りないから負けた。もっと気合が入るような演舞を考えろ」と叱責された。その後はさらに厳しい練習が待っていた。

 大田黒さんらは、“しごき”を逃れようと、考えを巡らせた。

 「試合が始まる前、先輩に『新しい演舞を考えてきましたが、まだお見せできません。もっと練習しますから、待っていてください』と報告しました。こっちも必死でした」と笑う。

 応援団の顧問は教頭が務め、他の部活動とは別格扱いだった。

 禁止だったげたばきも、応援団だけはお構いなし。「水虫ができたので、げたしか履けないんです」との言い訳が通った。

 大田黒さんの先輩、今井政文さん(61)=昭和49年卒=は、応援団長を務めた。歴代の団長が20年間にわたって着古した学ランを着て登校した。当然、ぼろぼろだった。

 「母親にいつも、『汚かねえ。なんばしよっとね』といわれました」と懐かしむ。

 今井さんは「応援団を通じ、先輩や後輩らとの関係ができた。生涯の宝です。卒業してから、長い付き合いとなるのが済々黌なんです」と語った。

 バンカラさが有名な応援団だが、3代続けて女子生徒が団長を務めたこともある。凜とした女性がいるのも、済々黌なのだ。

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 全校生徒約1200人のうち、9割を上回る生徒が部活動や同好会に所属する。平成28年度には弓道部や陸上競技部が、インターハイに出場した。水球部やハンドボール部も県内ではトップクラスだ。

 NHKの「ニュースウオッチ9」に出演する気象予報士、斉田季実治(きみはる)さん(41)=平成6年卒=は3年間、ラグビーに打ち込んだ。「スポーツの試合では、天気によって攻撃方法も変わる。気象情報をより分かりやすく伝え、選手が的確に行動に移せるような道しるべになりたい」と話した。

 部活動に全力投球する生徒だけに、現役時代の入試に“間に合わない”こともある。

 「現役合格ではなくても、第一志望に合格するまで諦めない」という雰囲気があり、浪人を恥ずかしいとは思わない。「済々黌は4年制高校だよ」と笑う卒業生も多い。

 そんな済々黌は黄色をスクールカラーとする。

 学生帽や制服には、「黄線」と書いて「キナセン」と呼ばれる黄色の横線が入る。

 卒業式の最後には卒業生が、キナセンの入った帽子を一斉に投げ上げ、退場する。防衛大学校の卒業式を参考に、昭和50年代に始まったという。

 当初は男子生徒だけだったというが、今では、卒業式のときだけ女子生徒にも帽子を配り、高らかに投げる。

 創立から今年で135年。キナセンを身に着け、社会に出た多士は、累計4万3千人を数える。 

(九州総局 村上智博)