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【作品をゆく】「風立ちぬ」(軽井沢) 堀辰雄が生涯愛した町並み

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【作品をゆく】
「風立ちぬ」(軽井沢) 堀辰雄が生涯愛した町並み

 「風立ちぬ、いざ生きめやも」

 昭和初期を代表する小説家、堀辰雄(1904~1953年)の名著「風立ちぬ」の冒頭に出てくる有名な一節だ。舞台は、「K:村」とサナトリウム(結核療養所)がある八ケ岳山麓の「F」。それは長野県の軽井沢町と富士見町を指す。

 重い病に侵された婚約者と送る2人だけの生活。高原での療養にいちるの望みを託す。読者は、悲劇的な結末を心のどこかに予想しながら、各場面に出てくる高原の美しい風景描写に魅了され、限られた日々を過ごしながら、「幸福」を追い求める2人の姿に引き込まれる。

 序章で描かれる軽井沢では、2人が甘いひとときを過ごした後、「私」は、先に帰った「お前」を思いながら、遠い山脈を見つめる。堀の巧みな描写は、風景のみならず、主人公の心象風景までも浮き上がらせる。愛とは何か。生きるとは。読者に深く考えさせる。

 堀にとって、自然、建物、漂う雰囲気など、軽井沢のすべてが創作意欲をかき立てた。散歩好きの堀がそぞろ歩いたあらゆる場所が、小説の舞台になっている。

 多くの文豪が夏を過ごした軽井沢だが、堀ほどこの地を愛した小説家はいない。

 東京に生まれた堀が、軽井沢を初めて訪れたのは大正12年。恩師の紹介で室生犀星と知り合い、誘われて初めて訪れた。その後、毎年のように軽井沢を訪れ、芥川龍之介らと親交を温めるようになる。

 戦況の悪化と結核を患う自身の体調が優れないこともあり、昭和19年になると、町内の旧中山道沿いの宿場町、追分宿内に家を借り、26年には自宅となる新居を建て、28年にここで没した。

 堀がお気に入りだった自宅は、多恵夫人により町に寄贈され、平成5年に堀辰雄文学記念館として開館した。約2700平方メートルの敷地内には、自宅と、亡くなるわずか10日前に完成した書庫、多恵夫人が46年から暮らした新宅を改装した常設展示室、企画展示室や事務室の入る展示棟が建つ。旧宅や書庫は当時のままだ。

 特に、書庫に対する堀の思い入れは強く、同館の土屋公志館長(52)によると、自宅の縁側まではって出てきて、大工が作業する様子を飽きもせず見ていたという。「よほど楽しみにしていたのでしょう。ただ、堀自身が書架に本が収まるのを見ることはなかった。さぞ無念だったと思います」とおもんぱかる。

 軽井沢は、「風立ちぬ」のほかにも、「美しい村」や「ルウベンスの偽画」など、いくつかの作品にも登場する。文学館を起点に軽井沢の町並みやホテル、別荘の小径などをたどれば、これらの作品のあの場面だと思い当たるかもしれない。(太田浩信)

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 ■メモ 昭和11年12月から13年3月にかけて、「改造」「文芸春秋」などの雑誌に発表された。小説は、堀辰雄自らの体験を題材にする。堀の分身でもある「私」が、結核に侵された婚約者に付き添い、「死」と「生」を見つめ続ける。結核は当時、不治の病だった。「風立ちぬ、いざ生きめやも」はフランスの詩人、ポール・ヴァレリー(1871~1945年)の作品から堀自身の翻訳で引用した。