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【坂東武士の系譜(30)第1部完】那須与一 家督継承の謎

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【坂東武士の系譜(30)第1部完】
那須与一 家督継承の謎

那須与一ゆかりの那須神社。楼門は国重要文化財=大田原市南金丸 那須与一ゆかりの那須神社。楼門は国重要文化財=大田原市南金丸

 源頼朝が奥州藤原氏を討った奥州合戦(1189年)に那須氏が出陣した記録がない。小山氏や宇都宮氏は活躍したが、新井さんは「政治的に没落していた」。与一は最後まで義経に従い、頼朝に警戒、排除された可能性もある。

 そして、大規模軍事演習、那須野巻狩り(1193年)の際、当主として「吾妻鏡」に登場するのは那須太郎光助(光資(みつすけ))。新井さんは「資之とは別系統が台頭した」との見方を示す。光資の父、頼資(よりすけ)は宇都宮氏からの養子だ。

 県立博物館の江田郁夫学芸部長が紹介し、注目を集めたのが、南北朝時代に作られた「玉燭(ぎょくしょく)宝典」紙(し)背(はい)文書にある那須系図だ。貴重な漢籍の写しの裏紙に書かれたもので、比較的信憑性が高い。

 「資隆-資頼-資光-資村-資家-資忠」とあり、資隆の後、与一宗隆や跡を継いだ資之の名はない。与一は父の名、資隆に改名したとする見方も根強いが、この系図で資隆には「那須太郎」と書き添えられており、与一と断定できる材料はない。資隆の後は頼資や光資と推定できる名が続く。

 江田さんは「奥州との位置を考える必要がある。(源平合戦は)奥州藤原氏との関わりで那須氏は動けなかったのではないか」。旗幟(きし)を鮮明にできず、立場が悪くなり、隣接勢力、宇都宮氏との連携を模索した。那須氏の意外な一面が垣間見える。

        

 参考文献は、「人物でみる栃木の歴史」(栃木県歴史文化研究会編、随想舎)、「那須与一伝承の誕生」(山本隆志編著、ミネルヴァ書房)など。