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【坂東武士の系譜(30)第1部完】那須与一 家督継承の謎

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【坂東武士の系譜(30)第1部完】
那須与一 家督継承の謎

那須与一ゆかりの那須神社。楼門は国重要文化財=大田原市南金丸 那須与一ゆかりの那須神社。楼門は国重要文化財=大田原市南金丸

 屋島合戦(1185年)で扇の的を射落とした那須与一宗隆は弓の腕を存分に振るい、源義経の指揮下、源平合戦で活躍した。恩賞として丹波・五賀(京都府南丹市)、備中・檜原(岡山県井原市)など荘園5カ所が与えられた。

 与一は名の通り、資隆(すけたか)の11番目の男子。兄9人は平家に付き、10番目の兄、為隆と共に源氏に付いた与一が家督を継いだ。与一は若くして病死し、5番目の兄、之隆が当主となって資之と改名。平家方だった兄たちも許され、それぞれ那須各地に所領を持ち、分家「那須十氏」の祖となった。

 森田太郎光隆(拠点は那須烏山市森田)▽佐久山次郎泰隆(大田原市佐久山)▽芋渕三郎幹隆(那須町睦家)▽福原四郎久隆(大田原市片府田)▽福原五郎之隆(同市福原)、後に那須資之▽滝田六郎実隆(那須烏山市滝田)▽沢村七郎光隆(矢板市沢)▽堅田八郎義隆(大田原市片田)▽稗田九郎朝隆(矢板市豊田)▽千本十郎為隆(茂木町町田)-である。

 ただ、大田原市黒羽芭蕉の館学芸員、新井敦史さんは「与一は西国にとどまったのではないか。那須に戻って家督を継いだ可能性は低い」と指摘する。

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