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【静岡・古城をゆく】井伊直平と社山城攻め 実際は引馬城に出陣か

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【静岡・古城をゆく】
井伊直平と社山城攻め 実際は引馬城に出陣か

 近年の井伊直虎の曽祖父に当たる直平について、永正7(1510)年からの三岳城の戦いを契機に、「井伊次郎」という渋川井伊氏が没落し(渋川城に墓石が存在)、今川氏に従った庶家の当人が井伊谷を本拠としたとする見解がある。

 直平の時代は今川氏と戦いを繰り返していたが、最終的には今川の軍門に下った。特に義元・氏真期において、井伊氏宗家と一門の男たちは相次いで戦死、あるいは謀反の疑いで誅殺(ちゅうさつ)され、残されたのは老将の直平だけであった。

 永禄6(1563)年、高齢の直平は今川氏の命で社山城(磐田市)攻めに出向く途中で急死したと言われている。『寛政重修諸家譜』には「永禄六年九月十八日死す。享年七十五歳。法名顕祖」とあるだけで、死因は明記されていないが、他の資料には「85歳で(現浜松市東区有玉の地において)毒殺された」というも説ある。

 しかし、直平が向かったのは社山城ではないと思われる。この城は天竜川を渡河し、糧道を確保する今川軍の要の城郭で、この時期、史資料にも戦いは認められない。どうも松平元康(家康)に通じた飯尾連龍の引馬城(浜松市中区)へ向かった可能性が高い。

 直平の遺体は井伊谷より遠い川名村に運ばれ、菩提(ぼだい)寺となる渓雲寺で弔われ、墓地は山深いところに葬られている。そこには、代々直平の墓の手入れを怠らず、守り続けた墓守の向井家がある。大河ドラマの影響で訪れる人が多くなり、静寂な墓地も一変したという。(静岡古城研究会会長 水野茂)