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新藤恒男氏死去 西日本シティ銀の基盤築く 国際貢献活動にも尽力

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新藤恒男氏死去 西日本シティ銀の基盤築く 国際貢献活動にも尽力

パーティー会場で笑顔を見せる新藤恒男氏(中央)=3月7日午後、福岡市中央区 パーティー会場で笑顔を見せる新藤恒男氏(中央)=3月7日午後、福岡市中央区

 西日本シティ銀行初代頭取を務めた新藤恒男氏が、82歳で亡くなった。合併で産声を上げた新銀行の基盤作りという、難しい課題に直面しながらも、現在の発展の基盤を築いた。訃報に、惜しむ声が上がった。(九州総局 中村雅和)

 「金融業界はこれからさらに難しい時代になる。記者さんも、しっかり勉強しないといけないですね」

 今年3月7日、福岡市内で開かれたパーティーで、新藤氏に話しかけると、こう激励された。

 昨年2月、日銀が導入したマイナス金利政策で、金融機関に大きな逆風が吹く。難しい時代とは、その状況を指していた。しかし、新藤氏が西日本銀行の頭取に就任した平成12年6月もまた、金融機関にとって“冬の時代”だった。

 頭取就任直後から、流通業界を中心に、取引先の破綻が続いた。

 12年7月、北九州市の「小倉そごう」や「黒崎そごう」を傘下に持つ百貨店大手「そごう」グループが民事再生法の適用を申請した。13年9月にはマイカルグループ、同12月には大手スーパーの「寿屋」も同法適用を申請した。いずれも西日本銀行の大口取引先だった。不良債権額はみるみる膨らんだ。単独での処理は難しいとして、大和銀行=現・りそな銀行=との合併構想も取り沙汰された。

 そんな中、西日本銀行相談役だった後藤達太氏が、旧知の福岡シティ銀行頭取の四島司氏と、経営統合の議論を水面下で始めた。新藤氏も、実務の責任者として、協議に参加した。

 14年4月、新藤氏は四島氏と一緒に、経営統合を発表した。「九州ナンバーワンの地域金融グループとして、地域経済の発展に貢献する」と夢を語った。

 16年10月、誕生した西日本シティ銀行の初代頭取に就任した。銀行業務の根幹であるシステム統合を、大きなトラブルなく実現した。不良債権の処理も推し進めた。

 新藤氏から頭取のバトンを受け継いだ久保田勇夫会長は「対等合併をフェアに成し遂げられたのは、新藤さんの公平と公正さがあったからだと思う。自制心が強く、表に出ない人柄だからこそ可能だった」と語った。久保田氏は現在も、人事や施策などについて、相談していたという。

 谷川浩道頭取は「財務体質の強化や行員の融和やブランド作りなど、新銀行の経営や営業基盤の構築に大きく貢献された」とコメントした。

 経営以外でも手腕を発揮した。18年1月から8年間、西日本国際財団の理事長を務めた。国際貢献活動に取り組む民間団体や個人への支援を続けた。

 引退後も金融業界を見る目は鋭く、精力的に動いていた。

 「申し訳ないが、次の会合があるので失礼するよ」

 3月のパーティーで、新藤氏はこう語りながら会場を後にした。かくしゃくとした姿が、目に焼き付いている。