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【かながわ美の手帖】横浜美術館「ファッションとアート 麗しき東西交流」展

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【かながわ美の手帖】
横浜美術館「ファッションとアート 麗しき東西交流」展

 ■開国で混ざり合う和洋 衣装に見る激動の時代

 日本の開国をきっかけに和洋のファッションが出合い、混ざり合っていく。その過程を示す19~20世紀にかけての衣装、工芸品、絵画、写真など約200点を集めた企画展「ファッションとアート 麗しき東西交流」が横浜美術館で開かれている。日本と西洋が互いの文化をどのように受け入れたのか。現代にも通じる当時のファッションから、激動の時代を感じ取ることができる。

 ◆国策による改革

 会場でひときわ目を引くのは昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の「大礼服」だ。深緑色のベルベット生地に、大小さまざまな菊花が縫いつけられている。金色や銀色の糸を使った豪華な仕上がりで、刺繍(ししゅう)を立体的に見せる「肉入り縫い」など、当時の縫製技術が駆使されている。品位と威厳を備えた3・3メートルの長大なドレスは、一目で最高位の女性のものだと分かる。

 明治維新から間もない時代、昭憲皇太后が、このドレスをまとうのには2つの意味があった。1つは西洋に対し、日本の近代化と国威を示すこと。もう1つは国内の洋装化の牽引(けんいん)だ。

 脱亜入欧を進めるなかで、見た目の印象を変える洋装化は、新政府にとって重要な課題だった。皇室が率先することで国民の意識改革を図った。同館学芸員の内山淳子は「当時、国策でファッションが改革されたことはとても興味深い」と語る。

 ドレスからは、昭憲皇太后が小柄だったことも分かる。内山は「小さなお体で、きついコルセットを締め、慣れないドレスをまとうことになった時代背景を思うと、同じ女性として胸が締めつけられる」とも語った。

 スーツという仕事着によって、なかば強制的に改革された男性の服装と違い、女性の洋装化は遅れた。昭和初期の銀座で洋装・和装が混在する様子を撮った写真も展示されている。

 ◆ドレスに新発想

 着物は西洋のファッションに大きな変化をもたらした。横浜を中心に世界に広まった着物は、浮世絵や工芸品を中心とするジャポニスム(日本趣味)の波に乗った。19世紀後半、着物は室内着として愛用されたほか、ドレスに仕立て直されるなど、女性たちはこぞって取り入れた。

 その先駆けの一つが英国で小袖(着物)を仕立て直したターナーのデイ・ドレスだ。

 着物は製造時に裁断の無駄が少なく、ドレスに仕立て直すと生地が足りなくなる。着物由来のドレスには、アンダースカート部分を現地で継ぎ足したものが多く見られた。

 「生地の形を残したまま着る日本と、生地を裁断して体に合わせる西洋。着衣に対する考え方やアプローチがまるで違っていた」と内山はいう。

 着物の浸透によって生地を“生かす”発想を得た西洋では、反物のように直線的・平面的なドレスが出現するようになる。その特徴はマドレーヌ・ヴィオネのウエディングドレスによく表れている。

 その後、シャネルが金糸で菊の模様をあしらったイブニング・コートを発表。有名ブランドが日本的なデザインを相次ぎ採用するなど、西洋のファッションは着物や日本文化の影響を受け続けることになる。

 内山は「ファッションは時代を反映する。文化が融合した時代の雰囲気を、ファッションから感じ取ってもらいたい」としている。=敬称略(外崎晃彦)

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 「ファッションとアート 麗しき東西交流」は横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3の4の1)で25日まで。午前10時から午後6時(入館は午後5時半まで)。木曜日休館。観覧料は一般1500円ほか。問い合わせは同館(電)045・221・0300。