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日本人抑留、語り継ぐ 「タシケント第四ラーゲル会」の旗、舞鶴市に寄贈 京都

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日本人抑留、語り継ぐ 「タシケント第四ラーゲル会」の旗、舞鶴市に寄贈 京都

 第二次世界大戦後に旧ソ連(現ウズベキスタン)・タシケントの収容所に抑留され、帰国した日本人で結成した「タシケント第四ラーゲル会」の旗が、舞鶴市に寄贈された。ウズベキスタンでは、日本人抑留者はオペラハウス「ナヴォイ劇場」を建設したことで知られる。旗は舞鶴引揚記念館(同市平)に収蔵される。

 会の旗は抑留者の隊長を務め、平成22年に88歳で死去した永田行夫氏が所蔵。永田氏は24歳で、457人が所属する「タシケント第四ラーゲリー(強制収容所)隊」の隊長を務めた。「日本人として最良のものを作る。全員が元気に帰国する」を目標に、ナヴォイ劇場の建設に従事。完成した劇場は1966年に大地震に見舞われた際にも壊れず、日本人への尊敬を集めたことで知られる。

 永田氏は帰国までに、同収容所のすべての日本人捕虜の名前と住所を暗記。日本語で書いた紙は引き揚げ船に乗船する際に破棄されるため、暗記のうえ、上陸した舞鶴市に留まって名簿を作成した。その後、名簿をもとに連絡をとり、「タシケント第四ラーゲル会」を結成。昭和24年から永田氏が亡くなる直前の平成22年まで年に一度、会を開いて親睦を深めた。3年には舞鶴市を訪れ、舞鶴引揚記念公園(同市平)で桜を植樹している。

 ウズベキスタンでは、日本人抑留者の活動が親日感情を呼び、引き揚げの町・舞鶴とも交流がスタート。2020年の東京五輪では、同市がウズベキスタンのホストタウンを務めることになった。

 同市を訪れた永田氏の長男、立夫さん(61)=横浜市=は「私が社会人になってしばらくするまで、父は抑留生活の話はしなかった。その後も悲惨な話はせず、抑留生活では、どうやったら一番いいか目標を持ったことや、作業の合間に遊んで、気を紛らわせたことを話してくれた」と振り返った。舞鶴市の山口寛士副市長に旗を手渡した立夫さんは「(旗を通じて)日本人が大変な状況の中、目標を持って帰国しようとしたことを感じていただければ」と話していた。