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幕末の動乱駆けた宇都宮藩主・戸田忠恕 碑文が語る歴史と功績 顕彰碑を書き下し

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幕末の動乱駆けた宇都宮藩主・戸田忠恕 碑文が語る歴史と功績 顕彰碑を書き下し

 宇都宮城趾公園(宇都宮市本丸町)にある宇都宮藩主、戸田忠恕(ただゆき)(1847~68年)の顕彰碑を県立高校教諭で大田原市文化財保護審議会長の大沼美雄さん(59)=那須塩原市=が解読し、書き下し文などを2枚の額に仕立てて県護国神社(宇都宮市陽西町)に寄贈した。来年は忠恕没後150年。幕末の動乱を生きた若い藩主の業績や波乱の人生を市民らに知ってもらう機会にしたいという。 (伊沢利幸)

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 忠恕は同神社祭神の筆頭で、稲(いな)寿(ひさし)宮司は額を拝殿に掲げ、解説文も用意。「参拝客に忠恕の業績や歴史を伝えたい」と張り切る。

 宇都宮藩戸田家12代の忠恕は10歳で家督を継ぎ、藩主になった。尊皇の志が深く、荒れ果てていた歴代天皇陵の修復に尽力。戊辰戦争では官軍側に付き、旧幕府軍に攻められて敗走し、22歳の若さで病死した。

 戊辰戦争では宇都宮で藩士が80人以上戦死。明治2(1869)年に戦死者らの招魂祭が挙行され、忠恕も祭神の一人となった。その後、宇都宮二荒山神社脇に宇都宮招魂社が創建され、昭和14年に「栃木県護国神社」と改称。翌年、現在地に移転した。

 明治30(1897)年、忠恕に従三位が追贈されたのを記念し、翌年、旧藩主や家臣らが顕彰碑を建立。功績や波乱に富んだ生涯が漢文体で刻まれた。幅233センチ、高さ430センチ。題字は小松宮彰仁親王、文章は二松学舎大創始者、三島毅で、明治時代には宇都宮の二大石碑に数えられた。平成5年に宇都宮市文化財に指定されている。

 大沼さんは「戦前の教育では偉人として取り上げられた忠恕だが、今は知る人も少ない。来年は忠恕の没後150年で顕彰碑建立120年。多くの人にその業績を知ってもらいたい」と訴える。