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碓氷峠の土塁、「小田原合戦」豊臣軍城跡か 築城者は?保存状態も良好 群馬

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碓氷峠の土塁、「小田原合戦」豊臣軍城跡か 築城者は?保存状態も良好 群馬

 碓氷峠の木立の中に広がる土塁は「小田原合戦」の舞台だった。群馬、長野県境で見つかった城跡は豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条方が籠もる松井田城の攻撃拠点となった「陣城」の可能性が高いことを12日、県文化財保護課の飯森康広さん(55)らが明らかにした。昨年夏、地元からの情報提供を受け調査を続けていた。築城者の候補には秀吉配下の前田利家、上杉景勝、真田昌幸らそうそうたる大名の名が上がる。

 周囲は江戸期の文献に城跡として記されていたものの、その後埋もれていた。城の性格や築城の経緯が明らかにされたのは初めて。

 城跡は碓氷峠から安中市側に約250メートルの旧中山道沿いに位置し、東西約200メートル、南北約100メートルの小規模なもの。城内には土塁や堀のほか、敵の侵入を防ぐために曲がり角を設け複雑にした出入り口「枡形虎口(ますがたこぐち)」の跡が残っている。

 土塁は、大小さまざまだが、最大で高さ6~7メートルと小ぶり。堀や壁面の高さも低く、整地が甘いことなどから飯森さんは「籠もるための城ではなく、臨時に作った陣城と考えられる」。

 また、城が長野県側から群馬県側に向けて作られていることや、戦国期の記録をたどった結果、天正18(1590)年、豊臣秀吉が北条氏を攻めた小田原合戦の際、北国勢が築いた可能性が高いとみられる。

 当時、北国勢は北条氏の家臣が守る松井田城を約1カ月かけて落としたが、飯森さんによると、その前月には北国勢が松井田城下に偵察に入っていた記録も残っている。松井田城を落とせるかどうか、緊迫した状況下にあったとみられ、飯森さんは「北条と豊臣の息づかいを生々しく感じる。豊臣軍が、万全の態勢を整えて戦に挑んだことが伝わってくる」と話した。

 飯森さんと視察した江戸東京博物館(東京都)学芸員の斎藤慎一さん(日本中世史)は「大名たちがどのように城を守ろうとしていたのかがわかる貴重な発見。保存状態も非常に良い」と話している。城跡から松井田城跡までは旧中山道で約14キロ。飯森さんは今後、北国勢が駆けた道中にも城跡を示す土塁などがないか調査する予定という。

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【用語解説】小田原合戦

 天正18(1590)年、関白だった豊臣秀吉が難攻不落とされた小田原城に籠もった北条氏を征伐した一連の戦い。松井田城のほか、山中城や韮山城(ともに静岡県)など各地で合戦が行われた。松井田城攻撃は同年3~4月で、その際、前田、上杉、真田ら北国勢の兵は総勢約3万5000にのぼったとされる。