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カンボジアで見つけた幻のコショウ カンボジアで見つけた幻のコショウ

 つい先日、畑の整理をしていて嬉しい発見をした。昨年の晩秋、葉が枯れるまで実をつけてくれたブラジル生まれの唐辛子を、根本の辺りからバッサリと切った。半年ばかり放置していた切り株を抜いて新たなる畑を起こそうと思ったら、何と切り残した株から、かなりの数の新芽が顔を覗(のぞ)かせていたのである。

 この唐辛子の実の長さは1センチ程度で、容姿はクコの実に酷似している。クコと間違えて口にしたことがあるが、体は小さいもののかなり辛いのがこの唐辛子の特徴。ブラジル人はクマリと呼んでいたが、図鑑によると、テピンと呼ぶ種類かもしれない。5、6粒をパスタの具材の中に混入して炒めたり、オリーブ油に漬け込んで数カ月間漬け置くと、パスタ等に最適な辛めの調味料に変身する。

 だが、この唐辛子の発芽率は悲しくなる程に低い。原産国のブラジルでも、100粒のタネを蒔(ま)いても1、2本発芽すれば大成功という。面白いのは、小鳥が熟れた実を食べてどこかで排泄をする。と、その糞に入っていたタネは、かなりの確率で発芽するというから不思議。余談だが、鳥は辛さを感じないのだとか。ブラジルの人は野原でこの唐辛子を見つけると狂喜し、誰にも教えずにこっそりと摘みに行くらしい。

 通常、暑くなってからタネを蒔くが、昨年は運よく数本の苗が育った。が、今年蒔いたタネが確実に育ってくれる保証はない。そんな訳で株からの発芽は、実にありがたい。栄養さえ与えれば、確実に夏には実をつけ始めてくれる筈(はず)。また、1回でも冬越しをして育ったタネは、その土地に同化するのか発芽率が高くなる。一般的に、唐辛子は一年草に思われているが、冬越しを助けてやると数年は生き続ける多年草であることは、余り知られていない。

 その唐辛子、九州界隈では胡椒(コショウ)と呼ばれている。青唐辛子と柚子(ユズ)を合わせて漬け込んだものが、柚子胡椒。従って、一般的に胡椒と呼ばれているものは、洋胡椒と呼び誰も違和感を覚えない。歴史的に見ても、九州の国々は大陸との交流が多かったのは事実。唐辛子が伝わって来た際、当時のヨーロッパでは金より高いとされていた胡椒にあやかり、唐辛子を胡椒と教えたのかも知れない。実際ヨーロッパでも、唐辛子と胡椒と間違えたことから、唐辛子をレッドペッパーと呼ぶようになったとか…。

 中国の王朝では、西の国を「胡」と呼び、その胡から渡ってきた山椒の実(花椒)のようなものを、胡椒と名付けたらしい。因(ちな)みに、日本に伝播(でんぱ)した胡のつくものはかなりある。胡麻、胡桃、胡瓜、胡座、胡弓等々と、十指に余るほど輸入されている。

 中国では、胡をフーとかホーと発音するらしいのだが、ベトナムの父ホー・チ・ミン氏の祖先を辿(たど)ると中国系の一族で、漢字で「胡志明」と書くようだ。

 そのベトナムからインド辺りまでが、いわゆる洋胡椒の産地。かつてベトナムの隣国のカンボジアは、世界一品質の高い胡椒を生産する国として、ヨーロッパのシェフ達の間では垂涎(すいぜん)の的であったと聞いている。中でも濃い紫色をしたパープルペッパーは、100粒の胡椒の実から2粒程しか取れない。完熟した実を丁寧に天日にさらした希少なものである。が、悲しいことに、豊かな農業王国だったカンボジアは長い内戦によって国内が荒廃。ポルポト派の台頭により学生を始め、教育者、知識階級、経済界の人々が、容赦なく殺害されてしまった。その数は、何と200万人以上ではないかとされている。そんなことで、農業王国カンボジアは大きなダメージを受け、胡椒も絶滅に近い状態に陥った。

 荒(すさ)み切ったカンボジア胡椒の危機を救ったのは、何と倉田浩伸さんという日本人。生き残った3本の苗を20年という歳月をかけ、ようやくにして採算ベースに乗るまでに復活。倉田さんの商品の中でも、ライプペッパーと名付けられたものは深い紫色。これこそが、幻のパープルペッパーではと、喜び勇んで日本に持ち帰り、ペッパーステーキに挑戦。香り、辛み、色合い、そして優しい旨味。唸(うな)る程に素晴らしい、胡椒であり、ステーキであった。

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 だん・たろう 1943年、作家・檀一雄氏の長男として東京に生まれる。CFプロデューサー、エッセイストとして活躍し、「新・檀流クッキング」などの著書多数。妹は女優の檀ふみさん。