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正倉院宝物の銀壺 国内制作し奉納? 奈良博・吉澤室長が新説

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正倉院宝物の銀壺 国内制作し奉納? 奈良博・吉澤室長が新説

 正倉院宝物で最大の金属製容器「銀壺(ぎんこ)」2口(甲・乙号)は、奈良時代に国内で制作された可能性が高く、乱を起こした藤原仲麻呂が擁立した淳仁(じゅんにん)天皇を退位させた称徳天皇が仲麻呂ゆかりの銀銭素材を転用して作らせ東大寺大仏に奉納した-。奈良国立博物館の吉澤悟・列品室長(考古学)がこんな新説を打ち出し、20日発表の「正倉院紀要39号」に掲載された。

 銀壺はいずれも胴径60センチ超。器面全体に各12人の騎馬人物がシカやイノシシなどの動物を追って山野を駆け巡る狩猟文や葡萄唐草(ぶどうからくさ)文などが施されている。こうした図柄の作例は中国・唐に多いことなどから現地で作られ、遣唐使らによって国内に持ち込まれたとみる説が有力となっている。

 吉澤室長はこうした銀壺の技法や狩猟図を詳細に観察。その結果、唐の金銀器と比べて魚々子(ななこ)打ちという技法が未熟で、刻線も唐でみられる「蹴彫り」が確認できなかった。狩猟文については同じ姿の騎馬人物が複数回登場し多様性がないことなどから、中国の原図をもとに国内で転写や合成を行ったものと推測した。

 吉澤室長は「東大寺銀壺」や「天平神護三年二月四日」という刻銘も考察。「続日本紀」によると、この年月日には称徳天皇が東大寺に行幸。3年前に政治の実権を握っていた藤原仲麻呂(恵美押勝(えみのおしかつ))の謀反が発覚、称徳天皇が仲麻呂と通じた淳仁天皇を退位させ、自身が再び天皇に就任するなどしており、吉澤室長は紀要で「万感の想いがあって本器が(東大寺大仏に)奉納されたと思う」とする。

 さらに銀壺の素材について考え、仲麻呂が発行を計画した新銭に注目。淳仁天皇を寿ぐ銭だったという「大平元宝」は現物が残っていないことから、この銀素材が別の用途に使われたとみられるといい、紀要で「仲麻呂の施策を白紙化し、淳仁天皇の存在を打ち消す目的で回収した『大平元宝』の処理にあったと想像する」と指摘している。