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【震災6年 被災地発】福島産シイタケ、いまだ苦境 長引く風評…生産者は半数以下に

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【震災6年 被災地発】
福島産シイタケ、いまだ苦境 長引く風評…生産者は半数以下に

 県内のシイタケ農家が苦境に立たされている。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から6年を迎えたが、生シイタケの出荷量は震災前の半分強にとどまる。風評が長引き、払拭への起爆剤も見いだせないことから、生産者は減少の一途をたどる。

 農林水産省の統計によると、原発事故前(平成22年)の生シイタケの出荷量は3664トンで全国7位だったが、事故後の24年には1285トンまで落ち込んだ。27年には2004トンまで回復したが、事故前の6割に満たない。

 その背景として、事故の直後の出荷の際の放射性物質の暫定基準値(1キロ当たり500ベクレル)を大幅に超える最大1万3千ベクレルが検出され、県産シイタケへの信頼が落ち込んだことがある。

 そのため、コストや手間がかかるシイタケ生産再開を諦める農家が増えた。22年に529人いた生産者は、27年に半分以下の210人まで減った。

 県林業振興課によると、事故から6年たっても第1原発から20キロ圏内を中心とする17市町村(2月13日時点)で国による原木シイタケの出荷制限(主に露地栽培)が続いていることが、生産者の意欲低下につながっているという。

 県などは風評払拭と出荷量の拡大へ向け、放射性物質の濃度検査を3段階で実施するなど、県産シイタケの安全性確保に力を入れている。担当者は「消費者に受け入れてもらうため、できることをやっていく」としている。

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 ◆農家の菊地久光さん、復活へ決意「原発事故に負けたくない」

 「原発事故があったからって、負けたくないんだ」

 福島第1原発から北へ約50キロ。県の沿岸北部に位置し、宮城県と接する新地町のシイタケ農家、菊地久光さん(68)の言葉に力がこもった。

 昭和50年から、両親と原木3千本でシイタケ栽培を始め、60年ごろには1万2千本まで増えた。現在はビニールハウス9棟に約6千本の原木がある。

 事故から4カ月後の平成23年7月、県による出荷制限措置がとられた。放射性物質が飛散したため、シイタケ菌を植え込んだ「ほだ木」は全て廃棄。その数は計2万8千本にも上る。

 「このままでは終われない。絶対になんとかする」

 そんな思いを胸に、出荷制限が解除される日に向けて新しい原木を探した。26年2月から、3回の放射性物質のモニタリングと施設内外の放射線量測定を経て、同7月に出荷制限が解除された。

 「3年は長かったよ。(シイタケ栽培の)仲間同士で支え合ってきたおかげだ」。新しい原木を秋田から取り寄せ、ようやく新たな一歩を踏み出した。

 だが、その後も苦悩は続いた。農協を通じて仙台の市場へ出荷したが、卸単価は事故前に比べて大きく下がった。事故前は1キロ当たり1千円を超え、市場でトップの水準だったが、28年度平均の卸単価は560円ほどに下落。出荷量も事故前の6割程度にとどまっている。収入が落ち込んだ分は、東京電力からの賠償で賄うしかない。

 事故から6年を経ても風評は根強いと感じる。「今は賠償がないとやっていけない。打ち切られたら、この先どうなるのか…」。不安は今も拭えない。

 ほだ木が直接地面に触れないよう、シートを敷くなど、消費者に安全なシイタケを届けるための努力を惜しまない。

 昨年5月に県内の専門機関が測定した菊地さんの敷地内の放射線量は地上5センチで1時間当たり0・15マイクロシーベルトで、国が定める除染の基準値(同0・23マイクロシーベルト)の半分近くまで下がっていた。

 出荷制限の解除以降、収穫したシイタケの放射性物質の濃度は全て基準値を下回っている。

 「事故前のように戻るには、まだ時間がかかると思う。でも、体が元気なうちは続けるよ。福島のシイタケは安全だって、しっかりアピールしないとな」(野田佑介)