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【日本の源流を訪ねて】復興を温かく見守る銅像 小楠公園(熊本市東区)

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【日本の源流を訪ねて】
復興を温かく見守る銅像 小楠公園(熊本市東区)

 熊本出身の幕末の思想家、横井小楠(1809~1869)は明治2年、京都で暗殺された。小楠公園(熊本市東区沼山津)は熊本地震で、顕彰施設も倒壊するなどの被害を受けた。それでも市は復旧作業を進め、命日にあたる今月15日、例年通り墓前祭が営まれた。

 熊本藩士の家に生まれた小楠は儒学を修めた。福井藩主の松平春嶽に招かれ、幕政改革や公武合体の推進などで活躍した。

 「四時軒」と命名した沼山津の住まいを、坂本龍馬ら維新の立役者が訪問した。その学識、開明的な考えを参考にしようという人が多かったのだろう。

 維新後、明治政府に出仕したが明治2年、凶刃に倒れる。「西洋文化とキリスト教を広めようとしている」との理由だったという。墓は京都・南禅寺天授庵にあるが、遺髪が熊本に持ち帰られ、公園の一角に埋葬されたとされる。今も遺髪墓が残る。

 50年忌に当たる大正7年、小楠の功績をたたえる高さ5メートルの頌徳碑が建立された。昭和44年に設けられた帯刀裃姿の銅像もある。

 いずれも門弟や地元住民が中心となって整備した。

 そして命日にあたる2月15日に、毎年墓前祭が営まれている。

 「墓前祭も当初は門弟たちで営んでいたが、やがて旧村役場が引き継いだ。昭和29年に村が熊本市と合併した後は、顕彰会が発足して活動を担っている」

 横井小楠顕彰会の弥冨孝一会長(87)はこう語った。

 昨年4月、熊本地震で熊本市東区は大きな被害を受けた。小楠公園の銅像や頌徳碑も倒壊した。特に銅像は台座から転げ落ち、悲惨にも真っ二つになった。

 この銅像、実は弥冨氏の実父がモデルだったという。「顕彰会会長だった父は、小楠先生と背格好が同じようだったから、裃を着けてモデルになったんです」。弥冨氏は振り返った。

 市は昨年12月、約1500万円をかけて復旧に着手した。銅像は富山県高岡市のメーカーに修復を依頼した。復旧工事は今月10日に完了し、墓前祭に間に合った。再び銅像が据え付けられる様子は「まるで小楠先生が天から舞い降りてくるようだった」(弥冨氏)という。

 墓前祭には、地元の秋津小学校の児童や住民ら約200人が参加した。弥冨氏は「小楠先生は、みなさんと同じ年齢の時、世の中に役立ちたいと誓いを立てて活躍した。みなさんも自分を磨いて活躍してください」とあいさつした。

 公園から徒歩約10分の場所にある小楠の旧居「四時軒」(市有形文化財)は現在も倒壊したままになっている。市は3月から解体に着手し、平成31年度までに復元する方針という。

 弥冨氏は「公園の復旧に続き、われわれも一歩一歩郷土復興に向かって進んでいきたい」と語った。その姿を小楠像は温かく見守り続ける。(南九州支局 谷田智恒)

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 熊本市東区沼山津4の11。入場無料。九州道益城熊本空港インターから、車で約10分。バスは交通センターバスターミナルから産交バス木山行き「小楠公園前」下車すぐ。問い合わせは市観光政策課(電)096・328・2393。