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恭仁京・朝集院初の範囲確定 京都府教委発表 北東隅から柱穴跡出土

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恭仁京・朝集院初の範囲確定 京都府教委発表 北東隅から柱穴跡出土

 奈良時代に聖武天皇が平城京を一時離れて造営した恭仁京(くにきょう)の跡(木津川市加茂町)から、官庁の役人の出仕前の集合場所だった朝集院(ちょうしゅういん)の塀の北東隅にあたる柱穴跡が出土し30日、府教委が発表した。これまでの調査成果を踏まえると、同院の範囲が東西134メートル、南北125メートルになることが判明。同院は他の京(きょう)にもあったが、範囲が確定できた国内で初めての例という。

 朝集院は、大極殿(だいごくでん)を中心にした大極殿院と官庁街の朝堂院で構成される京の中心施設「宮(みや)」の中で朝堂院の南に併設されていた。

 調査は、朝集院の範囲確認のため、東塀想定地を350平方メートルで実施した。

 この結果、一辺0・8~1・3メートルの堀形を持つ柱穴跡が、約3メートル間隔で南北方向に一列に並ぶように出土した。

 一方、柱穴の列は北側で途切れていたが、柱穴跡の両側に並設されていた溝は途切れず、北側から西へ直角に曲がっていた。こうしたことから、ここが朝集院の北東隅と分かった。

 これまで他の3隅は出土しており、今回の調査で範囲が確定。規模は平城宮にあった朝集院の3分の2程度と推定されるという。

 また柱穴の深さが1・3メートルだったことから、塀の高さは約4メートルと推定。周辺から瓦片が出土しなかったため、板ぶき屋根の可能性が高いこともわかった。

 一方、ほかの宮では朝集院内で出土していた建物「朝集堂」は調査したものの、見つからなかった。

 府教委は「朝集院の四隅が確定したことは、今後の他の宮跡の内部構造を検討する際の参考になる貴重な成果」と話している。

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 府教委が30日に発表した恭仁宮跡(くにきゅうせき)(木津川市)の調査結果で、出土した柱穴跡は南北一直線に規則正しく並んだものだったが、その中に、直線上に乗らない柱穴跡が1カ所あった。

 問題の柱穴跡は調査地の南端付近から出土した。柱穴列よりも東へ外れ、南隣との柱穴跡の間隔も通常の3メートルよりやや広い。

 平成元年の調査でも、朝集院南東部で同様に直線から外れた柱穴が検出するなどしており、府教委は「部材の大きさなどに応じ、柱の間隔や位置を調整していたのでは」と説明する。

 また、古い記録から恭仁宮の大極殿は平城宮から移築したことがわかっているため、塀の部材も平城宮から移した可能性があるとしている。

 このほか、塀の柱列跡の左右に並行して設けられていた小溝の中からレンガの「●(せん)」が1点出土。塀の基壇の外部を飾ったことも考えられるという。

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 現地説明会は12月3日午後1時半から。現地(同市立恭仁小学校の南)はJR加茂駅から北へ徒歩約30分。

●=土へんに専の旧字